ヤスニITTプロジェクトについて語ってみる

今エクアドルに住んでいますが、このブログではごくまれにしかエクアドルについて触れてきていません。が、前回ちょっとエクアドルについて書いてみたらアクセス数が伸びているので、もう一回別の話題で書いて様子をみてみたいと思います。

さて今回は、ヤスニITTプロジェクト。はっきり言って俺はこのプロジェクトに対して関心があった(ある)わけではないので特別な知識があるわけではありません。一傍観者として思うことを書きます。

まず、このプロジェクトの概要と、舞台となっているヤスニITT(ITTは地域の頭文字であって、情報技術のITとはなんの関係もありません)について。

UNDPのサイトに日本語で出ているドキュメントが、こちら↓

クリックして133652577001.pdfにアクセス

そういうわけなんですが、もうちょっと詳しく知りたいので他の記事を探していたら、ワードプレスのブログが出てきました。↓
エクアドル・ヤスニ国立公園について②

今の大統領であるコレアが、2007年に提唱して、2010年からUNDPが基金を管理して運営している、とのこと。で、2012年までは目標をクリアしてきたようですが、2013年は無理そう、というわけ。

最近のニュースが、こちら↓
http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324593704579013230202063294.html

そもそもなんで寄付が集まらないかというと、一貫性のないエクアドル政府の政策の実績によるというのは明白。寄付集めるだけ集めておいて、次の大統領になったら簡単に方針を撤回して、開発を始めちゃうんじゃないの?と疑う人は多いはず。
だいたい今の経済だって、ドル化経済なのに利率が落ち着かないのはカントリーリスクがあると評価されているからです。この前も書きましたが、日本の学者の中には、いざとなったらまた自国通貨を復活させる政策をとるんじゃないのか、という人もいます。

そんな国家なので、私は上のニュースのように代替案を検討する、ということが脅しでなくて実行に移ったとしても全然驚きません。

結局は信用の問題だと思うのです。これはソーシャル・キャピタルです。数年で回復するようなもんじゃないでしょう。

エクアドル経済を語ってみる

もうすぐエクアドルに来て1年。ただの旅行者だったら通過するだけの国、ガラパゴスを除けばせいぜい3日ぐらいしか滞在しないだろうし、山登りの方々は山以外にはやっぱり3日ぐらいしか滞在しないだろうこの国に、1年。しかも、隣国に行く許可はもらえないので、俺にとっては島国状態(ちなみに現地人はフツーに国境を越えられます)。

そういうわけで、ほとんどの日本人はこの国の経済が云々とかいちいち考えないと思うところ、俺はかれこれ一年近くいるし、その間に当地の友人もそれなりにできたし、その上定期預金とかしているし、なんとなく今後の経済の動向は気になるところであります。

さて、中南米はこの傾向が強いらしいのですが、エクアドルの現政権もバラマキ型のポピュリストと呼ばれています。何をしているかというと、まずバラマキの部分では「格差の是正」を掲げて生活保護みたいな感じの給付をしたりというのが典型ですが、それ以外にも関税を高くして国内産業を保護したり、最低賃金を年々上げたりしています(今は手取りで月312ドル、社会保障も入れると380ドルぐらい)。

一番目立つのは公共事業による雇用の創出なんですが、これが目先の経済発展を狙って財政赤字を増やしているのが問題とされています。たとえば先日承認された今年度の予算だと、歳入が250億ドルなのに歳出が300億ドル、かなりの赤です。しかも、エクアドルは貿易収支も赤字なので、双子の赤字です。

次にポピュリストの部分では、たとえば石油会社の国有化やら外資企業を追い出すようなことをやってみせたり、それから反米を掲げて強気なことをやっています。最も最近では、7月でアメリカの特恵関税の制度が終わりましたが、元CIAのスノーデンの絡みもありこの更新を「ゆすりに使っている」として交渉すらしませんでした。とはいえ、下の記事によると2012年のアメリカ向けの輸出は60億ドルだったらしいから、これが大幅に減ると痛い目を見るのは自分なのでは、と思えてなりません。実際にはどのぐらい打撃を受けるんでしょうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM27017_X20C13A6EB1000/

今のエクアドルはアメリカはもちろん、アメリカの息がかかっているとしているIMFと世銀、米州開発銀行からも融資を受けようとしないそうで、そうすると融資する先って中国と、あとはベネズエラらへんしか残っていない感じです。実際には中国べったりに見えます。大型の公共事業はほとんど中国が融資しているんじゃないでしょうか。

貿易赤字を食い止めるためには輸入を減らすか輸出を伸ばすかしかないです。輸出では、石油の精製能力を増やすためにパシフィコ製油所(120億ドルのプロジェクト)を作っているところだが、これも合弁相手はベネズエラと中国。エクアドル国民は身近にいる中国人移民しか印象にないので偉そうに「チノ、チノ」言っていますが、実際のところエクアドル経済は既に中国さま様です。

財政赤字の方は、まずエクアドルは海外向けに国債を発行できません。というのも、現政権の過去の実績等(グローバル債を支払い能力があるのにデフォルトにした)によって、格付けが低すぎるから。そして債務の方も、既に目一杯借りている状態。

日本の一部の学者は、状況いかんによっては、今後エクアドルがドル通貨を辞めて再び自国通貨に戻る可能性を指摘しているけれども、俺はそんなことできるはずがないと思っています。ドル化したのは既にそうなりかかっていたのを追認しただけだったけれども、これから自国通貨に切り替えるなんてどこの国もやったことないし、そんなのやってまたハイパーインフレのリスクを背負い込むなんて馬鹿げていると思う。

ま、とりあえ現在は内需拡大型の政策によって順調に経済が回っているように見えるので、エクアドルの一般人は誰も先行きを心配しているようには見えないです。だからこそポピュリスト型政治というんでしょうが。そもそもメディアはそういう問題提起をしたりするようにはできていないっぽいのですが、その上大学も権力追従型だとすると、そうなるとオピニオンリーダーが不在というわけでしょうか。

自分の回りのエクアドル人がそういう話を一切しないのが不気味です。単に、暗い話を一外国人である俺にしないだけなのでしょうか。。

近現代の人口増加について

こういう話はけっこう好き、なのだけど、あんまり関連する本とか記事とか見ない。

今日はネットで見るけた記事から、引用。記事は日本の江戸以降の人口動態と経済について。
http://manabow.com/somosomo/depopulation3.html

  江戸時代の初め(1600年頃):1260万人
江戸時代の終わりから明治維新(1867年頃):3300万人
1920年初め:5800万人
1970年初め:1億人
最新統計:1億2800万人

江戸の三大飢饉で人口が大分変わったとあるが、それはそれとして江戸末期らへんからは日本の領土自体も以前と違っていったわけで、そこらへんも考慮にいれておきたいところ。たとえば、琉球は人口規模だったんだろう、とか。

明治以降は内地出身の人もかなりの人が海外に出て行っていたわけで、上記のリストで20年代始めっていうのはおそらく戸籍ベースだろうから、それだけの人が内地に住んでいたというわけでもなさそう。でも内地には中華民国人(中国人)、大韓帝国人(朝鮮人)とかも住んでいたわけだから、ある程度は出入が相殺されるのかな。

どっかの記録で見たところによれば、たしか終戦時点では内地には200万人程度の外国人(ほとんどが朝鮮人)がいたという。実は今の在日外国人の総数も200万ちょいだから、総数で見れば大差ないことになる。が、当時の人口を考えてみると、外国人比率ははるかに高いし、東京とか炭鉱のある地域とかに朝鮮人が集中して住んでいたことを考慮すると、その(=朝鮮人)存在感というのはかなりの迫力だったに違いない。

ともあれ、近現代というのは世界的に人口爆発が起こった時代なわけで、こんな状況は地球史上かつてない。こんだけ人口がいるんだから、貧困や飢餓にあえぐ人が沢山いるのは当然のような気がするが、実際のところ絶対数でいうと中世よりも貧困に苦しむ人の数は多いのだろう。人が多いだけ、事故も事件も多いし多様。理不尽なことも沢山ある。

かと言って、しょうがないというわけにもいかず、人が多いとか少ないとかはさておき、倫理的に振る舞おうとするならば私たち一人一人が、そういう状況を一掃するべく力を注ぐ必要がある、と思う。果てしない戦いであるというのは重々承知の上で。ヒューマニズムってそういうものですよね、きっと。

とりあえず、いつだってそうなのだろうけど、僕らは前例のない時代を生きている、というのは肝に命じておきたい。

メキシコとエクアドルの物価

メキシコ旅行から帰ってきてから、ブログを更新してませんでした。記憶が薄れる前に、思ったことを書き留めておきます。

メキシコとエクアドルを較べるっていうのは、その大きさからして不可能だとは思うんだけど、それでも較べずにはいられません。

まずは似ているところ。
1)スペイン語
今回訪れたのは4つともそれなりに標高がある町でしたが(1800-2400mぐらい)、話されているスペイン語の発音はキトと大して変わらない、と思いました。グアテマラと並んで、中南米の標準スペイン語ということでしょうか。一応言っておくと、違うのは口語表現とか間投詞、特にキトの場合はキチュア語の単語を借用しているのがあるのでそこの部分とか。あとは根本的に声の出し方とか違うと思いました(キトは、東南アジアのようなダラーっとした話し方です)。

2)物価
これが、今日のテーマです。

メキシコとエクアドル、意外と物価が同じぐらいなんです。一人あたりGDPではメキシコは1万ドル、かたやエクアドルは半分以下の4500ドルにもかかわらずです。しかも、エクアドルに関して言えば服、靴、カバン、薬、電化製品、楽器なども大半が輸入なので、高い関税がかかっていてメキシコより断然高いです。

おそらくこれは一人あたりGDPで比較することの危険性なんだと思うんですが、メキシコは(現在の)エクアドルよりも貧富の格差が激しいので、低所得層に照準をあわせてみないと物価のことは見えてこないんだと思います。たとえば、メキシコの最低賃金はとんでもなく安いし(フィリピン以下)、その上メキシコはインフォーマル部門が巨大なことで有名。かたや今のエクアドルは社会(民主)主義を表明しているだけあって、政府が大きい。エクアドルの、ここ10年の最低賃金の上昇はかなりすごいです(日本もけっこうですが)。

で、物価ですが、エクアドルの方が安いのは、1)食費、2)長距離バスの2つが目につきます。長距離バスが断然安いのは、おそらくガソリン代の寄与も大きいと思うのですが、エクアドルは政府が補助金を出し続けていて、ガソリンが1Lあたり50円だったと思います。

農作物はともかくとして、他のものはメキシコの方が安いように感じました。理由として思い当たるのは、「競争」です。物価にかぎらず、それこそ、メキシコとエクアドルの大きな違いだと思ったのです。エクアドルは、競争が緩いせいで価格が高止まりしている気がします。それだけでなく、なんでもかんでも政府がなんとかしてくれるのを待っている雰囲気です。

エクアドルはコレア大統領になってから治安も良くなり安定して経済成長もしていますが、もし原油価格が下がってきたらどうなるか心配です。最近読んだコレア大統領の2009年の本でもそのことは指摘されていましたが、ここ数年で好転しているとはどうも思えません。なんと言っても一般市民がのーんびりしていて、グローバリゼーションに対応できるというような感じがしません。いや、その理由のひとつが在外家族からの海外送金だと見るならば、グローバリゼーションの結果としてそうなっているのはあるのですが。

オマール・ベネンソンの音楽療法2

二週間ほど前の話になりますが、ベネンソン音楽療法について、アルゼンチンのベネンソン財団のレベル1&2の講座を終えました。全部で24時間ぐらいだったと思います。

講座はレベル6まであるらしく、5と6に関しては財団本部でしかやっていないとのこと。財団ではマスターコースもあるそうです。

ベネンソン音楽療法を勉強してみて思ったのは、参加者中心、社会構成主義的。心理学の流れがそうさせるのでしょうか。いいとか悪いとかいった価値判断から離れ、指示もせず枠にもはめず、なんだかフワッとした感じがします。

少なくともレベル1&2ではノンバーバルのアプローチを適用しており、いわゆる「音楽療法」のイメージからは遠いセッションになっていました。もっと言えば、「音楽」療法なのか音療法なのかすらあやふやでした。

さて、スペイン語での講座の合間に、勉強の足しにと思ってネット上の日本語文献を探してみましたが、ほとんど何も出てこない。そもそも音楽療法とは何なんだろう、と思ってきたので調べてみました。

以下は概論、その後の宣伝は無視してくださいー。
http://www.bodysonic.cc/bodysonic/bs_5_1.htm

次は定義
http://www.livingroom.ne.jp/e/0405sm.htm

ベネンソン式では、セッションの目的は「コミュニケーションのチャンネルを開放する」ことだと教わりました。ということは用途もそれを反映しないといけないですね。

ベネンソン音楽療法では”ISO”という用語が出てきますが、ネット上の日本語文献に出てきた以下の”ISO principle”とはちょっと趣が違うようです。だって音楽を聴かせるようなスタイルじゃないんだもの。

ISO principle
“『同質の原理』( アルトシューラーの理論 )とは、「患者の気分やテンポにあった音楽を使用する」ということ。この見解は極めて重要なものであり、今日の科学的な音楽療法の基本原理と考えてよいもの」で、この原理とロジャーズの来談者中心療法が基本的に一致すべきことを提唱してきた」。p19(山松-『自閉症児の治療教育-音楽療法と箱庭療法-』岩崎学術出版,1975年参照)”
from: http://pii-desu.hp.infoseek.co.jp/ongakuryouhounokiso1.htm

さて最後に、ベネンソンについてwikipediaで調べてみようとしたら英語でもスペイン語でも出て来ず、イタリア語でしか出て来なかったです。

スペイン語ではベネンソン財団にページのものが読めます。
http://www.fundacionbenenzon.org/glosario

ベネンソン式は、南米とイタリア、スペインあたりで行われているようです。一方、ネットで調べてみる限り、日本では音楽療法のメソッドはアメリカ、イギリスとあとはスウェーデンで普及しているものが学ばれているのかな、という印象です。

といったところでレポート終了にします。

Dali!とPara po!

スペイン語を勉強しながら考える。

チャバカノ語を勉強しながらも考える、今の関心はタガログ語とクレオールについて。というかタガログ語に代表されるダイグロシアの下位(タガログ語は中位でもありますが)言語に見られる借用とクレオールについて。

たとえばこんな現象。

“Dali!”は、タガログ語で、「急げ!」とか「早く!」という意味ですが、これってスペイン語の”Dale!”「行け!」の借用から来ていると思うんです。

もしくは、もっとエキサイティングな考えでは、マニラ地方にあったチャバカノ語からの借用かもしれません。っていうか、タガログ語自体がある時点、程度までチャバカノ語だったんじゃないかと。

次の例。

ジープニーを降りるときには”Para po”または”Para ho”と言いますが、これってスペイン語の”(la) parada por favor”をタガログ語流に略したカタチじゃないでしょうか。

そうすると小辞の”po”自体、”por favor”の略から来たとなります。タガログ語は前置詞では”pero”, “para”, “o”などスペイン語の借用が見られ、それらはチャバカノ語とも共通です。

まだタガログ語文献を使った研究を私自身ができるレベルじゃないので、先行研究について調べられないのですが、ゆくゆくはもっと追求していきたいテーマです。

最後に、ちょっと方向が変わりますが、エクアドルのスペイン語に見つけた特徴について。

タガログ語の”lang”と似たような働きをする、”no mas”という語尾があります。チャバカノ語に関する文献でも、エルミタの方のチャバカノ語では、まさに”lang”が”no mas”に置き換わっていたようです。
http://bienchabacano.blogspot.com/2012/06/differences-between-chavacano-de-ermita.html

非常に興味深いです。