ブラジルポルトガル語の運転免許証とCertidão de prontuário do condutorの訳語について

ブラジルの運転免許の制度は2008年に新しくなり、現在のブラジル運転免許証は”Carteira Nacional de Habilitação” 、略してCNH.と呼ばれている(ちなみに、以前のものは PGUと呼ばれていた)。一般的には運転免許証は”carteira de motorista”とも呼ばれている(英語版ウィキペディア記事はこちら)。

それに関連して、記録や経歴をポルトガル語では”prontuário”というらしく、スペイン語とは呼び方が違ってわかりづらい。日本でいう運転記録証明書や運転経歴証明書にあたるものは”Certidão de prontuário do condutor”と呼ばれている。

(参考:下記はミナスジェライス州のDETRAN(交通局)のウェブサイト)
https://www.detran.mg.gov.br/habilitacao/prontuario

一方、ポルトガルでは運転免許証は”carta de condução“という名前で、運転経歴証明書的なものは”certidão do registo de infrações do condutor (RIC) “という(直訳すると、「運転者の違反登録の証明」といったところか)。

スペイン語でも国によってこの書類の名前は違っていて、例えば

ウルグアイでは”Certificado de Antecedentes de Conductor”(直訳は、運転者の前歴の証明書)
https://tramites.imcanelones.gub.uy/tramites/certificado-de-antecedentes-de-conductor

チリでは、”Hoja de vida del conductor”(運転者人生のシートあるいは紙)
https://www.chileatiende.gob.cl/fichas/ver/13661

ペルーでは”Certificación de Récord de Conductor o Récord del Vehículo de Motor”(運転者記録証明)

といった具合。いろいろ違って大変だ。

南米でのリタイヤメントビザ

実は新興国はどこもリタイヤメントビザの制度を持っているらしい。

下のウェブサイト、見ているだけでも面白い。
http://www.interq.or.jp/tokyo/ystation/r6.html

南米では6か国にリタイヤメントビザの制度があるそう。一般的には毎月の送金額の必要量が少ない国ほど経済力がない国、だけれどもなぜかコロンビアはエクアドルよりも寛容。さすがコロンビア。

ちなみにたいていの場合、長期滞在するには他にも方法があるようで、それこそまだリタイヤメントしていない年代の人も移住するケースはあります。
どうせ新興国だから、弁護士(イミグレーションロイヤー)の腕(コネ?)次第なところもあるのではと思います。

ま、私には関係ないですが。

井沢実の、ラテン・アメリカの日本人

南米はエクアドル滞在も先が見えてきた。ここらで日本人移民についてもひと通りうんちくが語れるようになっておきたい、と思って読書を始めました。なんせエクアドルは「日本人移民」がいない国。かろうじている戦後移住組には関係の筋からのお話を聞くこともできているが、外国のこととなると本で知識を集めるよりほかに方法はありません。

ラテン・アメリカの日本人 (1972年) (国際問題新書)
井沢 実
日本国際問題研究所
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「ラテン・アメリカの日本人」(1972) 井沢実(国際問題新書)

この本、古いからと思って甘くみていた、が、めちゃ面白い。外国の歴史の中にこんなに日本人が入り込んでいたのか、と関心することしきり。中南米のことはもちろん、明治維新直後の日本や、中世マニラの日本人村のことにも少し触れられていて勉強になった。

なんでも、マニラの日本人村最盛期の3000人というのは、ときのスペイン人の数よりも多いんだとか。そうか、たしかに人口構成との比較で数字を見ていかなければならんよね、と当たり前のことに気付かされた。

とすると、本書からは離れるが、第二次世界大戦終了時に200万人いたとされる朝鮮人の数って、当時の人口との比率はどんなもんだったんだろうか。
本書の巻末の1970年ラテン・アメリカ諸国人口統計は、どこも今の半分ぐらいの人口である。ここから察するに、当時の日本や朝鮮も今の半分だったとすると、日本の人口が6000万、そのうちの200万人なら、3%強である。そうすると、今の日本の外国人比率の2倍近くになる。どんな状況だったんだろうかな。

一方、韓国・朝鮮の人口が今6-7千万として、その半分のうちの200万とすると5%は越える。それだけの男が連行されたとするとかなりのインパクトだと思う。ま、しかし実際には朝鮮戦争で相当数亡くなっているだろうから上記のような単純計算では当時の人口は推定できないと思う。一度、数字で見てみたいと思った。

途上国でアトピー

ここエクアドルに来てから早半年、気分的には生活に慣れてきているようでいて、一方、身体はやんわり拒否反応を出しています。

日本を出発するときに久々に皮膚科に行ってもらってきた塗り薬が切れたのが先月ですが、それよりちょっと前からアトピーが少しずつ悪化していました。

実は、はっきり言ってこの国に来るまで自分がアトピー持ちということをほとんど忘れていたぐらいだったのです。というのも、フィリピンに行って以来、アトピーの症状はほとんど収まっていたので。初めてフィリピンに滞在してから日本に戻って一年間ちょい暮らしても大丈夫だったし、それからさらにフィリピンに2年滞在して、その後日本に戻って一年暮らしたときも大丈夫だった。

再発の兆候が出たのは、実は去年グアテマラのケツアルテナンゴで2週間だけスペイン語学校に通ったときでした。この街は、別名シエラ(山という意味)と呼ばれるだけあって、標高が高めで、気温もそれなりに低く、それから低地と比べると乾燥気味。この乾燥というのが、俺のアトピーには非常に悪い。

メキシコ・グアテマラの旅から夏の日本に帰っても、悪化こそしないものの完治しませんでした。そしてそのままエクアドルのシエラ地方に来て、住んでいるわけです。またまたシエラなのですが、エクアドルのシエラはさらに標高が高いわけで、涼しさも乾燥具合も半端ではありません。一方で雨もよく降るには降るのですが。。

こちらの医師(一番立派な病院の)に罹ったところ、「神経性皮膚炎」と診断されました。たぶん、日本にいたときはしばらくなかったのにエクアドルに来てから再発した、というようなことを言ったからだと思います。たしかに、ストレスもあるんでしょうが、私的にはフィリピンに暮らしていたときと比べればストレスになるようなことは思い当たりません。それよりもどう考えても気候が原因と思うんですが、やはりアジアに行ったことのないエクアドル人の医師には思いも及ばない原因なのかなぁ・

あるいは、本当に神経性だとすると深層心理の問題ですかね。思えば、フルートとピアノを辞めてからアトピーも治った(フィリピンに行ったから)のに、また再開した途端にアトピーが出てきているという偶然の一致。まさかね。。

私の経験から言うと、途上国だからといってアトピーが悪化するわけではなく、当地の気候が問題。日差しの影響は経験から言うと軽い気がします。乾燥するところと気温が低めの場所には俺はこの先絶対住みたくないです。早く東南アジアに戻りたいなぁ。

オ-ストラリアのワーホリは海外から申請できる

ワーホリで、カナダとオーストラリアとどっちにしようかと考えてみた。カナダの方がなんとなくいろいろとちゃんとしてそうなのだが、寒そうだし、もうひとつの理由でオーストラリアに軍パイが上がった。

それはやはり、位置的なもの。将来的に拠点とする場合に、南米、フィリピン、日本とも距離がそれなりに近いのは魅力。かつ、ジェットスターのような格安航空会社もあり、交通費も抑えられそう。ついでに、最低賃金が高いということなので、ワーホリ中の仕事(十中八九は単純労働)でもそれなりに給料を確保できるんじゃないか、と期待。

さて、南米に行くときにカンタス航空を使えば、1年オープンのチケットで成田から往復19万ほど(燃油サーチャージ込)。もしかしたら、一旦ジェットスターでオーストラリアに入って、それから現地で南米行きのチケットを買った方がチケット代としては安いかもしれない。が、そのためだけに滞在するのなら滞在費とかを考慮すると結局高くつく。

カンタス航空の上記チケットは、シドニーでストップオーバーできるそう。ということは、帰りの便でシドニーで途中降機して、そのままワーホリ滞在をスタートすれば、日本に一旦帰る必要がない。とても魅力的。

調べてみるに、オーストラリアのワーキングホリデーはネット申請なので海外からでも申請可能。完璧ですね。そのままオージーで就職先も見つけられれば、しばらく居ついていられるじゃん。

というのが現時点での計画ですが、もしJICAのボランティアが受かっててかつ希望の場所だったら、そっちに行ってしまうかもしれません。ま、どっちでもいいです。どちらにせよ、とにかく日本からは再び脱出して、少なくとも2年は海外にいます。