ホーチミン市の全小学校で宿題が禁止に

ベトナムは教育水準が異様に向上しているようで、たとえばOECDの15歳以下の学力を測ったPISAというテストでは、2012年(2016年現在で最新)にドイツと並みだった。

そんなベトナムの、ホーチミン市内では来年度から宿題が禁止されるという。
http://www.viet-jo.com/news/social/160914051410.html

もともと宿題の功罪には両論あって、学力への効果という面では「親や教師や自己満足に過ぎないんじゃないか?」という声が高まりつつある。数年前には、ビルゲイツからの投資を受けて大きく成長した教育オンライン・プラットフォーム「カーンアカデミー」のサルマンカーンも、著書「世界はひとつの教室」で無駄だといっている。生徒全員に一律に同じ宿題を課す、ということも問題。

「世界はひとつの教室」サルマン・カーン(2013)

世界はひとつの教室 「学び×テクノロジー」が起こすイノベーション
サルマン・カーン
ダイヤモンド社
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一方で、家庭での学習習慣を作るためには宿題があった方が良い、と考える親は今でも多いし、宿題がなかったら家では勉強なんかしない、という子供や学生も多いだろう。

今回のホーチミン市の社会実験で、実際にどんな効果が出るのか、楽しみだ。

1945年 マニラ新聞―ある毎日新聞記者の終章

フィリピン本。今回は戦争モノのドキュメンタリー。

「1945年 マニラ新聞―ある毎日新聞記者の終章」南条岳彦(1995)

1945年 マニラ新聞―ある毎日新聞記者の終章
南条 岳彦
草思社
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本書のタイトルにある「マニラ新聞」は、現在ある「まにら新聞」とは全くの別物で、言ってみれば初代である(ちなみに現在の「まにら新聞」は1996年に、「Kyodo News Dialy」(1992年創刊)が名称変更したもの(参照))。

その初代「マニラ新聞」にしても、マニラ日日新聞などを接収して1942年に作ったもの(参考)で、さらにマニラ日日新聞はマニラ商工新報が前身で、、、と書き出せば長くなる。

それはともかく、本書の著者はたった3年間しか続かなかったこの初代「マニラ新聞」の編集長の息子さんで、自らも報道関係者なのだそう。幼少期に数年間を一緒に過ごしただけの父のことを十何年も調べ続け書き上げたという労作である。当時の時代を感じさせるという面では面白い本。

ただ、焦点はあくまで父・南篠真一と彼を取り巻く世の中であって、後半になるまでフィリピンの話は全然出てこない。なので、これをフィリピン本として読んだ俺は前置きがえらく長く感じてしまった。

マリア・プロジェクト

フィリピン本、ではないけれど、フィリピンを舞台にした楡周平の小説。

「マリア・プロジェクト」楡周平(2001)

マリア・プロジェクト (角川文庫)
楡 周平
角川書店
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彼の作品を読むのは2度目だが、ドラマチックな展開と設計や描写の緻密さが持ち味なんだと思う。気分転換やストレス発散にいい、というのはハリウッド映画のようでもある。

さて、舞台をフィリピンにしてあることについて、前半を読む限りでは別にインドでもいいじゃん、という感じがしたが、後半はフィリピンであることの必然性が表れていたように思う。ステレオタイプのイメージを活用しつつ、それでいて実際に行って取材をしないと見えてこないようなレベルでの国民性の捉え方みたいなのもある。もちろん、実際にフィリピンに住んでいた者からすれば不自然なところもいくつかあるのだけども(たとえば、庭師が見取図を描くくだりとか)。

全体として、同じフィリピンを舞台にした小説と言っても、以前紹介した「カリナン」とは格が違うという印象。しかし、俺的には「フィリピンフール」
が一番面白かった。ウワサばかりで何を信じていいかわからないという、日本人にとってのフィリピンをよく描けていると思う(逆に言うと、先の楡周平の作品においてフィリピンは舞台設定でしかない)。

フィリピン・フール (ハルキ文庫)
内山 安雄
角川春樹事務所
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さて、次回のフィリピン本はノンフィクションが一冊、さらに、中世の航海誌も日本語版を手に入れたので読んでいくことにする。せっかく日本にいるうちに日本語の本をたくさん読みたい。

愛しのアイリーン(漫画)

フィリピン本、ではなくマンガ。そういえばこんなのあったなぁ、と思い出して一気に読んだ。

「愛しのアイリーン(新装版)」新井英樹(2014)

愛しのアイリーン[新装版] 上
新井 英樹
太田出版
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愛しのアイリーン[新装版] 下
新井英樹
太田出版
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マンガのオリジナル版は1995年~。この当時の日本はフィリピンパブ真っ盛りで、1993年には岸谷五朗とルビーモレノ主演の映画「月はどっちに出ている」が出ていた。フィリピンといえばフィリピンパブや買春ツアー、田舎の自治体を挙げて農村花嫁の斡旋をするような、今では考えられないようなことがまかり通っていた。当時は今と違ってヤクザの活躍もめざましく、フィリピンパブの中にはバックに人身売買組織が絡んでいることもあったそうだ。

で、このマンガ。モーニングに連載されていただけあって終始、男性目線。モテない中年である主人公は、オタクでもデブでもハゲでも、貧乏ですらないという設定。むしろ、思いやりも正義感も腕力もあって、モテる部類ではないか、という気さえするのだが。。実際、物語が進むにつれてモテ続けている。ついでに言うと、中年なのに精力が有り余っていてひたすらオナニーをし続けるという、なんだかよくわからないキャラだった。

対してフィリピンから来た18歳の娘アイリーンは、野性的と言うよりはほとんど猿で、フィリピン人が見たら憤慨するようなキャラクター。というか、全体的に登場するフィリピン人のにならずマンガのトーン自体が差別的で、フィリピン人にはとても見せられない感じではある。

では「このマンガは差別的なマンガだ」と非難すればよいかというと、そうでもない。大した人気は出なかったとはいえ、こういうマンガが受け入れられた世の中というのが確かにあって、もっと言ってしまえば先の「月はどっちに出ている」の延長線上にあるだけだと思うからだ。たしかにこれが当時の日本社会だったと思うのだ。親日という若いフィリピン人には、ぜひ読んでほしい。と言って俺がタガログ語訳しようという気にはならないのだが。

題材はさておき、マンガ自体はけっこうパワーがあって、特に上巻の方は面白かった。反面、後半はかなり意味不明な感じがしてちょっとついていけなかった。女性の方は、読んでも不愉快になるだけだと思うのでお勧めしない。

100年前のサンボアンガの光景 ~フィリピンの一日本人から~

フィリピン関係の本は一通り読むようにしているのだが、日本語で書かれているものは戦時中や戦後が主で、戦前の描写が細かいのは珍しい。

「フィリピンの一日本人から」大沢清(1978)

フィリピンの一日本人から (1978年)
大沢 清
新潮社
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この本、古書扱いだが安い。著者の大沢清は、ちょうど100年前にサンボアンガへ渡り、向かいのバシランでしばらく働いた後、マニラへ。そこで実業家となる。戦前のサンボアンガの記述がある本というのはかなり珍しい。

ついでに、息子の大沢一郎はマニラのデラサール大を卒業し、現在は技能実習生を日本に送り込む人材派遣会社をやっていたり、日比親善同友会の会長もしている。マニラの日本人社会では重鎮といったところか。それにしても俺は今まで会う機会がないのだが。。

さて、結局、貧しい移民と彼、大沢清との違いは資本とコネ。資本は大百姓の家に生まれ、渡航費やマニラでの独立開業の資金も家族に頼っている。コネについては(戦前の)名門中学時代に手に入れた、またはその名門中学出身という自負が態度を大きくさせたのか、とにかく威勢が良く社交力に長け、フィリピンに渡ってから日本人をはじめとする実業家やらなんやらとのパイプを作っていったようだ。

しかし彼を大物たらしめたのは単なる社交力というよりは、やはり人徳なのではないかと思う。彼が書く通り、フィリピン人に慕われていなかったら、生きて戦後を迎えることはなかったろう。英語ができたから、というよりは人を見る目を持っていたということと、相手を尊敬することを知っているという2点が同時代の他の人々と違ったところなのだろう。

日本軍が来る前から民間人としてフィリピンに長年住んでいた人の手記というのはあまり読む機会がないが、読後の感想としてフィリピン人やフィリピン社会に対する彼の感覚は、現代を生きる私のそれとそう変わりないように思える。相手の尊厳を守るとか、商売をするにあたってずる賢いゼロサムゲームでなくWin-winの関係を作るとか、そういう当たり前のことを言っている。かたや、彼が描写する日本軍は、それは酷い。そしてその内容は、外国人が描写しているものと同じなのだ。

まぁ、彼にしても何か後ろめたいことをしたかもしれないが、だいたい本を書く人というのは自分にとってマイナスになる要素は極力書かないもの。逆に、周りの人が悪いことをしていたら非難するものだ。そういう意味で、書かれていることから自分なりに割引いてみて、当時の様子を想像していくほかないと思う。そのためにはいろんな資料にあたること。次は何を読もうかなぁ。

跳びはねる思考と、考える生き方

久々に日本語の本に触れられる環境になったので、読書マラソンを始めた。あらかじめ読みたい本はリストにしてあるので、その中から手に入る本を読む。面白いものは普通に、つまらないものは斜め読み。

わりと無名の人の本もネットで見つけて買ったりする。そうすると、だんだんわかってくる。全体的な印象として、賞をとった人だったり、ある分野で何かを成し遂げた人の本は面白い。そうでない人の本はつまらない。当たり前と言えばそうですが、無名な人がわりと簡単に出版できるようになった今、改めて比較する機会が増えているように思う。

さて、そんな中で読んだのが、自ら「何も成し遂げていない」と豪語するブロガー、finalventの本。そうは言っても月に30万ビューがある(あった?)ブログを書いている人だから、有名人な感じがしないわけではない。ブログなるものが流行り始めたのは俺が学生だった頃ですが、そのとき彼の「極東ブログ」を読んで時事の読み解き方の基礎のようなものを学んで、当時は俺もこのブログのファンだった。

「考える生き方」finalvent(2013)

考える生き方
考える生き方

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finalvent
ダイヤモンド社
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finalventさんの語り口はユニークで、何かを成し遂げた人でない「普通の人」の視点から人生に向き合うということについて書いてあって、人生の先輩からの素直なアドバイス、というように読める。たとえば、「平凡な自分」を生きなければならないという現実に悩んだり、禿げる自分に落ち込んだり。さらにはそういった個人的な問題はそれぞれの人にとっては学問とかなんかよりはるかに重大だ、という指摘さえする。まさにそうですよ!

自虐というのではないが、自分が劣っていることを認めることで楽に生きられるって、たしかにあると思う。たとえば、いくらピアノが好きで練習したところで、才能のある6歳児にはかなわないとか、英語を何十年勉強したってネイティブの中学生のようには話せない、とか。あるいは、障がい者に勝てない。たとえば、東田直樹という若い作家がいる。この人、自閉症なんですが高校も卒業しているし本を書くことができる。そして、そういう人は珍しいので世界中から注目されている。言い換えれば、著作を通じて世界に貢献している。それは、平凡な健常者たちが一生かかってもできないインパクトがあります。

「跳びはねる思考」東田直樹(2014)

跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること
東田直樹
イースト・プレス (2014-09-05)
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彼の著作はずっと読みたかった。で、まずは上記の本を手に取ってみた。もちろん自閉症といっても個人差が大きいだろうけど、そういう人が何を考えていて、どう世の中が見えるのか。それを知ることは自閉症の人が家族にいる人や特別支援学級の先生、それから脳科学者にだけでなく、一般の人にさえ、世の中の感じ方に対する新しいアプローチをもたらしてくれると思うんです。人間の可能性が開かれる気がします。

次は、世界中に翻訳されている彼の本「自閉症の僕が跳びはねる理由」、それから続編もあるそうなのでそっちもあわせて読みたい。

「自閉症の僕が跳びはねる理由」東田 直樹(2007)

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心
東田 直樹
エスコアール
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「続・自閉症の僕が跳びはねる理由」東田 直樹(2010)

続・自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない高校生がたどる心の軌跡
東田 直樹
エスコアール出版部
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回顧録とノンフィクションと自伝的小説の境目

旅行本ではないのだが、旅行しながら読むような本、ということで。

『スリー・カップス・オブ・ティー』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン(2007=2010)サンクチュアリパプリッシング

スリー・カップス・オブ・ティー (Sanctuary books)
グレッグ・モーテンソン デイヴィッド・オリバー・レーリン
サンクチュアリパプリッシング
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本書を読んでいても南アジアに行きたいとは思わないが、とりあえず好奇心だけでのぞいてみる感じで。本書は、パキスタン北部のカシミールあたりが主な舞台。
ちょっと変わったアメリカ人が慈善家から財団を任され、少数民族の村にどんどん学校を作っていくという話。箱ものを作ればOKみたいな話は、「援助業界」的には過去の話だろうと思うのだが、案外そうでもないのかな。めちゃめちゃ面白い本ではないが、まぁまぁよかった。

で、読み終わってネットで検索をかけてみると、実は創作の部分もあるらしい。というか、実際は共著者であるジャーナリスト、レーリンが書いたらしい。ウィキペディアの「ゴーストライター」の項にも載っているが、でも共著者ならゴーストではない気がしますが。さらにこのウィキペディアによれば、なんとレーリンは自殺したのだそうです。国は違えど、小保方事件のことを思い出しますね。

本を出すなら、売りたいと考えるのは当然で、そのためには話を盛るのも普通だと私は思いますが、違うんでしょうか。事実に基づいていればノンフィクションとしてはOKなんじゃないですか、歴史学や文化人類学じゃないんだから。

同じ南アジアが舞台の本で、自伝的小説「シャンタラム」(2005=2011)があります。これまたいくら読んでもそっちに旅行しようとは思わないような本ですが、まぁまぁ面白い。ちなみに全部で3冊ある長編です。

シャンタラム〈上〉 (新潮文庫)
グレゴリー・デイヴィッド ロバーツ
新潮社 (2011-10-28)
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これなどは、最初から主人公=著者とは言っていないので、自伝的小説というジャンルに収まることになるのでしょうが、中身的に上の「スリー・カップス・オブ・ティー」と変わらないでしょう。ようは売り出し方の問題で、「本当の話です!」と言って出すか、「実は著者の実体験に基づいているんです」と添え書きぐらいのスペースで言うか、の違いだけだったのだと思います。

ところで、本書の中にはしっかりこういう記述があります。モーテンソンの尊敬するマザー・テレサが出所の怪しいお金を受け取っていたことについて、マザー・テレサの言として、
「お金の出所は気にしません。神の御心にかなった使い方をすれば、すべて清められるのですから」

ようは、「本が売れさえすれば中身が真実がどうかはどうでもいいだろ」、ということではないですか。そのお金で清められるようないいことができるんですから。

最後に、日本語版のこの訳者、本当に上手です。大学のセンセイが訳す学術書なんかも、これぐらいのクオリティならうれしいんですがね。

もし音大生がドラッカーの『非営利組織の経営』を読んだら

10年ぐらい前のことだった。某私立音大に通いながら、かといってプロになれる見通しはまったく立たず、その反動からか大学の外でのボランティア活動に明け暮れていた。今と違って企業でのインターンやら海外へのスタディツアーなどは学生のトレンドではなく、そのためか多くの学生がボランティアをしていたと思う。当時は「社会起業」という言葉が出始めるぐらいの時期だった。

俺はひょんなことから在日外国人支援のNPOに参加していたが、団体の課題に対してその活動があまりにも非力だと痛感していた。専従スタッフはおらず全員がボランティアで、やりたいことも何もかも人それぞれだった。それでもかろうじて組織のビジョンみたいなものはあって、古参のボランティアには共有されていた。その中で俺のしたかったことは、もっと「ちゃんと」活動をやりたいということだった。社会的使命のために存在するNPOが趣味のサークルと同じであっていいはずがない、ボランティアであっても課題を解決するために、プロのNGOのようになるべきだ、と考えていた。いつも目の前に受益者がいて、大人だけでなく子どももいた。なんとかしたかった。

それで、NPOの経営について学ぶために、掛け持ちで某NGOでのボランティアを始めた。趣旨としては、今で言うインターンみたいなものだろうか。NGOで働くことに憧れもあったかもしれない。

ドラッカーの著作に出会ったのはその頃だったと思う。たぶん、そのNGOの書棚にあったんじゃないだろうか。それ以来、ブックオフで見つけては何冊も買って読んだ。

10年後、ようやく組織から独り立ちしようとしている自分がここにいる。いつしか自分の組織を作るというのが夢になり、いくつかのベンチャーやらで働きながら、小さい組織の経営についてシミュレーションをしてきたつもりだ。引っ越しを繰り返す中で実家に置きっぱなしにしてきたドラッカー、今度は引っ越しにも同行させよう。

先日、たまたま「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を読む機会があって、我が青春のドラッカーをまた読み返したくなった。

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
岩崎 夏海
ダイヤモンド社
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「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」岩崎夏海(2009)ダイヤモンド社
(レビュー)
この本はよく知られているのでいちいち解説とかする気はないが、表現上の技法について面白かったので一言。小説なのに意図的に上田惇生の翻訳調を多用しており、ドラッカーを日本語で読んだことがある人なら思わず笑ってしまう。しかし中盤以降からは語り口が徐々に変わり、それに合わせたように主人公たちが感情を出し始めていく。普通の小説らしくクライマックスもちゃんと用意されていて、処女作というわりに随分うまく書けていると思う。ドラッカー入門という本書の出版スタンスを考えると、100点じゃないかと思う。

ネクスト・マーケット

ここ数ヶ月、いわゆるBOPビジネスとかっていう本をいくつか読んできて、ようやく辿り着いたこの本。

「ネクスト・マーケット[増補改訂版]」J.K.プラハラード(2010)

もともとは2004年が英語版の初版ということだが、こんな本が10年前に出ていたなんて。。という内容。

もちろん日本でもアンテナが立っている人はかなり早い時期に触れていたのだろうけど、少なくとも俺の周りにはこの本を読んだ人はそういないことから考えると、俺も含めて文字通り10年遅れている、ということだろうか。ため息が出る。

 

この著者がBOPということを言い出したそうで、それについては日本語のいろんな本でも触れられている(例えばちょっと前に紹介した野村総研の本とか。)。しかしながら、日本語で書かれた他の本はいかに日本の製品を売り込むかみたいな路線ばかりだったが、本書「ネクスト・マーケット」に出てくる話は、次元が違う。

 

たとえば、ブラジルの小売「カーザス・バイーア」は、家具等をBOP層に無担保の信用販売するモデルとして紹介されているが、これなどは扱っている商品はまったく普通の家具である。イノベーションはその方法であって、無担保の信用販売は、もはや小売業が自前でやっているマイクロクレジット。そしてすごいのはちゃんと履行させ、それで利益を業界一になれるほど上げていることである。

 

同様に、インドの某州政府の電子政府化によるサービスの向上と汚職の撲滅など、スケールがでかいのなんの。こういう動きは、うかうかしているとむしろ日本の方が遅れて行ってしまう、というのがポイント。特に日本は職員のモラルが高いので、電子政府化は汚職撲滅の手段としては説得力がない。

 

本書は10年前の本なので最近のことは書いてないが、似たような例としては、たとえば教科書の電子化なども似ている。日本では既存の出版業界が邪魔してできないことが、逆に途上国では一足飛びにできてし、まう。出版業界のことも、一種の「グリーンリープgreen leap」と言えるかもしれない。

 

気になるのは、「ネクスト・マーケット」の出版以来、世界はどう変わってきているんだろうかということ。もしプラハラードが生きていたら、どんな評価を出すのだろうか。変化はダイナミックに各地で起こっているようでいて、それはまだまだ点に過ぎず、総体としてはそんなに変わったような気がしない、と俺は思う。まだまだやれることはあるだろうし、今だからようやく可能になってきていることもあるだろう。

未開拓な分だけ、これからも面白いチャレンジにでありつづけるに違いない。やはり、途上国に行こう!

 

ブラジル辺境紀行

今週からブラジルに遊びに行くので、予習。そういえばポルトガル語に比べて、歴史や地理、文化的な情報を全然集めていなかった。

たまたま入手できた本では、この本が俺の訪れる東北地方のことを書いていて興味深かった。もっとも、フォルタレザについてはほとんど触れられていないが。

ブラジル辺境紀行―血も涙も乾く土地
高野 悠
日本放送出版協会
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「ブラジル辺境紀行―血も涙も乾く土地」高野 悠(1994)日本放送出版協会

南米に来るまで俺がブラジルにたいして持っていたイメージは、まさに本書に出てくるようなブラジルだった。以前観た「シティ・オブ・ゴッド」や「シティ・オブ・メン」だって舞台こそファベーラだが、起こっている事件は本書に出てくる広大なセハード(日本語でセラードが定訳のような感があるが、俺には喉びこ音はラよりはハに聞こえる)で起こっているそれと、大差ない。

おそらく、ブラジルはここ20年ぐらいで急速に変わっている側面もあるのだろう。なんせ物価は高いらしいし、いろいろと先進国的なモノを持っているらしいと聞いている。

ワールドカップも終わったことだし、ようやく俺がブラジル訪問する番だ。