去る2023年12月3日に、マラウィ市の国立ミンダナオ大学ラナオ校で起きた爆破テロの犯人とみられるダウラーイスラミヤ-マウテグループ(DI-MG)の人物が、1月25日に南ラナオ州のピアガポというところであった軍との戦闘で死亡した。
この戦闘では全部で9名のダウラーイスラミヤ-マウテグループ(DI-MG)のメンバーが殺害された。
参考記事(英語):
去る2023年12月3日に、マラウィ市の国立ミンダナオ大学ラナオ校で起きた爆破テロの犯人とみられるダウラーイスラミヤ-マウテグループ(DI-MG)の人物が、1月25日に南ラナオ州のピアガポというところであった軍との戦闘で死亡した。
この戦闘では全部で9名のダウラーイスラミヤ-マウテグループ(DI-MG)のメンバーが殺害された。
参考記事(英語):
2023年12月3日午前中、ミンダナオ中部のラナオ・デル・スル州のマラウィにて、国立ミンダナオ大学ラナオ校の体育館でキリスト教のミサ中に爆破テロがあり少なくとも4名が死亡、50名が負傷した。
今回は日本のニュースでも取り上げられているので、日本語で読めるソースも多い。
(参照記事↓)
https://jp.reuters.com/economy/66ADVJHRYNLQJB3SLHFZFPZ4SU-2023-12-03/
この事件に先立って、国軍はイスラム過激派への作戦を展開しており、イスラム国に忠誠を誓ったマウテ・グループ(DI-MG = Dawlah Islamiya-Maute group)のリーダーを殺害していたとのこと。今回のテロはその報復と考えられるそうだ。時系列はちょっとよくわからないものの、たしかに別記事では12月3日にサブリーダーの一人アランドニ・マカダヤ・ルクサダトゥ(Alandoni Macadaya Lucsadatu)が作戦により殺害されたとある。
(参照記事(英語)↓)
https://www.sunstar.com.ph/zamboanga/dawlah-islamiya-leader-killed-in-clash
なお、マラウィは2017年にマラウィ危機(日本語版ウィキペディアでは「マラウィの戦い」)があった場所。現在でも上記グループが潜伏していたり、治安が悪い印象。バンサモロ自治地域を構成する州のひとつ。
去る3月30日、サンボアンガ港からホロに向かったフェリーが途中で火事になり、最大31人が死亡した。「最大」というのは、ニュースが出た時点ですべての遺体が回収できていなかったからと思われる。
フェリーには約200人の乗客と30人以上の乗組員が乗っていたという。下の英文のニュースからは、死亡したのがすべて乗客だったのかは読み取れないが、全員じゃないにせよ大半は乗客だろう。
(英語記事↓)
参照1 gulfnews
参照2 skynews
このニュースを読んで気になることには、救出された乗客のうち、乗客リストに載っていない者もいたとのこと。いまだにそんな管理体制なのか。。
去る10月9日の早朝、メトロマニラのケソン市にあるキャンプ・クラメに収監されていたアブサヤフの元リーダー格、通称Indang Susukanと、同じくテロリスト(ダウラー・イスラミヤのメンバーとみられる)2名が脱獄を試みたが失敗し、3人とも殺害された。
この事件、3人は朝食を運びに来た看守をめった刺しにし、施設内を逃走し始めたが、先に2名が射殺され、残った1名はたまたま同施設に収監されている元上院議員レイラ・デ・リマを人質にとったためにフィリピンでは一面を飾るニュースとなった。その1名も結局射殺され、元上院議員は無傷だったそう。
なお、Indang Susukanは身代金目的の複数の拉致事件を率いたとして服役中だった。彼は2020年にダバオ市で身柄を拘束されたが、その前に国軍との戦闘で片腕を失い、先にMNLFのヌル・ミスアリ(2013年のサンボアンガ危機の首謀者)のもとに身をゆだねていたとのこと。
参考記事(英語)↓
2021年11月に、当時カガヤン・デ・オロ選出下院議員で、現カガヤン・デ・オロ市長であるRonald Uyの長男が暗殺された件で、容疑者が去る7月30日に逮捕された。
容疑者は元新人民軍(共産ゲリラ)メンバーで、70年代には同組織の暗殺部隊として活動していたという。
(参考記事(英語)↓)
7月24日にマニラのアテネオ大の卒業式に来ていた元ラミタン市長が、同郷出身の単独犯に撃たれて亡くなった(参照)が、その5日である7月29日に、今度は犯人の父親が撃たれて亡くなった。
(参考記事(英語)↓)
撃ったのは2人組だというが、捕まっていない。どう見ても報復で、まずは家族から、というのが
マフィア的というか、当地のイスラム教徒流というか。。
なお、記事によると撃たれて数時間後に親族により埋葬されたという。それも普通じゃない。
昨日7月24日に、アテネオ・デ・マニラの卒業式で、銃を持った男が発砲し、ついこの前までバシラン州ラミタン市長だったロシータ・フリガイ(Rosita Furigay)とその側近、学校の警備員の計3名が殺害され、他2人が負傷した事件が起きた。犯人はその場で取り押さえられた。殺害された元ラミタン市長は、娘の卒業式を見届けるためにその場に来ていた。
(参考記事↓)
https://news.ntv.co.jp/category/international/a4b12627c33e41a3892064d01fb49902
上の日本語記事には詳細が全然書かれていないが、次の英語記事を読むとこの犯人は同じラミタン出身の医師チャオ・ティアオ・ユムル(Chao-Tiao Yumol)であり、彼は元市長から76件のオンライン名誉毀損(SNSなどで名誉を棄損する罪)で訴えられており、この医師の方も元市長を(何の件でかは明記されていないが)訴えていたという。というのも、この医師は元市長が当地で違法薬物取引をのさばらせていたことに対して憤慨していた。直接的には、当地で自身のクリニックを運営するのを妨害されたりしていたのが今回の事件の引き金らしい。
(参考記事(英語)↓)
https://www.pna.gov.ph/articles/1179647
ちなみにラミタンはアブ・サヤフ関連のニュースでもよく耳にする地名で、相当に厄介な土地なんだろうなという印象。市政が始まる前の2004年からロシータの夫であるロデリック・フリガイ(Roderick Furigay)が長年仕切ってきて、妻ロシータに2013-2022年まで引継ぎ、そして彼は今年また返り咲いたところだ。地元では彼らは超強力に違いない。
(参考記事(英語)↓)
さて、ここからはニュース記事をもとにした話ではないのだが、知人のフィリピン人から話を聞く限り、どうもこの医師は前からこの元市長に命を狙われていて、何度か殺されかけたことがあり、政府に助けを求めても何もしてもらえないのでやられる前に自分から殺しに行った、ということのようだ。おそらく彼は残念ながらこれから刑務所に入っている間に消されてしまうのだろうが、それでも窮鼠猫を噛む的にやれるだけのことはやった、ということなんだと思う。
今回の件、もしかしたら、先日の安倍元首相の暗殺事件にインスパイアされた模倣犯だったりして、という気がしないでもない。
去る3月26日に、アブサヤフのバシラン州におけるサブ・リーダーの一人、ラズミル・「アブ・クバイブ」・ジャンナトゥル(Razmil “Abu Khubayb” Jannatul)とみられる幹部が、バシラン州スミシプ(Sumisip)町での国軍の作戦によって殺害された。
(参考:英語記事↓)
https://www.pna.gov.ph/articles/1170713
同記事によれば、国軍は一方で、別のサブ・リーダーであるバサロン・アロク(Basaron Arok)の一味とのスールーでの戦闘の後、武器などを回収したとのこと。
フィリピンでは今度の5月に総選挙を控えているが、それに合わせてテロを計画しているとみられるIS系の組織(「ダウラー・イスラミヤ」と「マウテ・グループ」)の訓練拠点を、国軍が空爆したりして攻撃している。その影響で、周辺の村々の1000家族以上が避難しているとのこと。
参考記事(英語)↓
https://www.benarnews.org/english/news/philippine/leader-identified-03022022143616.html
ところで、ミンダナオでは2019年から、「ミンダナオのイスラム教徒のバンサモロ自治地域」(いわゆる「バンサモロ自治地域」、英語では”BARMM”(Bangsamoro Autonomous Region of Muslim Mindanao))が、従来のARMMに代わって発足している(参照)。ドゥテルテ大統領のもとで始まった新たな制度で、もう3年経ったわけだが、その間にコロナ禍になってしまったりしたのもあり、開発は進んでいないのではないかと思うが、詳細はまた今度調べてみたいと思う。
読んだ本の記録。
ダバオ国(クオ)の末裔たち―フィリピン日系棄民(1990)天野洋一
ダバオ国(クオ)の末裔たち―フィリピン日系棄民
ネット上で読める文献「コルディリエラの日系人」にも登場するアルツーロ・ハギオこと萩尾ユキトシ氏を主人公としたノンフィクションで、ダバオにおける日系人の戦前・戦中・戦後にかけての変遷を追った構成。
フィリピン日系人についてのことが書かれた貴重な一冊でいい本だと思う。ただし描写についてはあくまでノンフィクションであるのを忘れないで読むべきとは思う。きっと筆者は先達である大岡昇平の小説なんかも読んでいるだろうし、そういうのを踏まえた上での筆致なはず。
さて、俺はいつも本を読むと、その後一体どうなったんだろうというのが気になってネットで調べてみたりするのだが、それは出版されてから何年も経った本の楽しみ方のひとつだと思う。今では、ダバオには日系人が作ったミンダナオ国際大学があるし、フィリピン在住日系人の調査もその後も続けられていて、2003年に日本財団の支援で設立された「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」のウェブサイトにはレポートが載っている。
一方、その子孫である働き盛り世代はかなりの数が日本に来て就労しているが、日系ブラジル人と同じで、出稼ぎ目的なので何年住んでも日本語がちゃんとできるようになる人は少ない、というのが現実のよう。ただ、中にはフィリピンで大学を出てから来日する人もおり、そういう人の方がポテンシャルが高いだろうとは思う。
最後に、チャバカノ語研究に関しての備忘録として以下をメモしておくことにする:本書中には戦前現地で共通語であったのはスペイン語だったかのような書き方がされており(太田恭三郎がスペイン語ができた云々のくだり)、チャバカノ語への言及はなかった。
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