フィリピン、カンボジアとベトナムの最低賃金の比較

急に思いついて、現在のフィリピン、カンボジアとベトナムの最低賃金を比較してみる。

1.フィリピン
2018年11月
マニラ:日額最低賃金が非農業分野は500~537ペソ(約1050円~1127円、1ペソ=約2.1円)
https://www.jetro.go.jp/biznews/2018/11/e2c50df274360288.html

2018年8月
セブ:386ペソ(約811円、1ペソ=約2.1円)
https://www.jetro.go.jp/biznews/2018/06/b0149cdcba0ba701.html

1カ月22日で換算すると、マニラが11,000~11,814ペソ(23,100~24,808円)、セブが8,492ペソ(17,833円)となる。

2.カンボジア
2019年1月1日から月額182ドル(約2万500円)
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/181029/mcb1810290500005-n1.htm

3.ベトナム
2019年1月1日からハノイ市、ハイフォン市、ホーチミン市を含む地域1が前年比5.0%増で418万ドン(約2万482円、1ドン=約0.0049円)
https://www.jetro.go.jp/biznews/2018/12/9ddb9d3a5985ce07.html

レートの基準日がまばらなので不完全だが、3カ国を比べるとマニラが一番高そうだ。さらに、興味深いことにベトナムよりカンボジアの方が若干高く見える。ただ、賃金とは別に福利厚生の手当てのようなものが法律で義務付けられていたりして、実際に受け取る額は最低賃金と同じにはならず、結果的にカンボジアよりベトナムの方が高くなるとのこと。そりゃそうだ、ベトナムの方が経済力が上なのだから。

その上、国によって物価が違うので、賃金の額だけ見てもどっちの方が生活が豊かかは言えない。インフレは国によりまた時期によりそれぞれで、たとえばフィリピンでは2018年から「加糖飲料税」(いわゆる砂糖税)を始めた結果、庶民がしょっちゅう飲んでいるソフトドリンクが高くなってしまったり、またコメもうまくコントロールできず、ついに政府による買い上げ米の制度(いわゆるNFA米)を諦め、輸入自由化に踏み切らずを得なくなった。結果的に、2018年のインフレは周辺国よりすごかった。

(参考)「甘い清涼飲料に「砂糖税」 アジアで広がる」日経新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28920420T00C18A4MM0000/
(参考)「フィリピン、コメ輸入を自由化 不足で民間参入容認」日経新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35773530W8A920C1FF1000/

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大晦日にコタバトのモールで爆破テロがあった件

去る2018年12月31日に、ミンダナオ島中央にあるコタバト市内のサウスシーズモール(South Seas Mall)の入り口付近で爆破テロがあり、2名が死亡、34名が負傷した。この犯行は軍によって先にテロリスト側の7名を殺害されたことへの報復と考えられているが、今回の犠牲者の中にはバンサモロ基本法の起草にかかわっていた者がいることから、もしかしたらこの人物を狙った爆破テロかもしれない。なお、犯人は1月2日夕方の時点でも特定できていない。

コタバトでは2013年にも爆破テロがあり、8名が死亡している。

ミンダナオの戒厳令は去る12月にもう1年延長されたばかり(参照)。2018年8、9月にはスルタン・クダラット州や南コタバト州ジェネラルサントス市で爆破テロがあったところから見るに、2017年のミンダナオ西部マラウィ市での戦闘が終わってから、テロリスト側の活動地域は少し東にシフトしている(参照「ミンダナオ中部スルタン・クダラット州で爆発テロ」「再びミンダナオ中南部スルタン・クダラットで爆破テロ」「今度はジェネラルサントスで爆破テロ」)
https://www.bworldonline.com/btc-worker-among-2-killed-in-cotabato-bombing/
https://www.independent.co.uk/news/world/asia/philippines-bombing-latest-mall-attack-cotabato-isis-dead-injured-rodrigo-duterte-a8705396.html
https://news.abs-cbn.com/news/01/02/19/cotabato-bomb-blast-an-act-of-terror-pnp

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「スペイン語の世界」の中のチャバカノ語

日本語の文献でチャバカノ語への言及を見ることは非常に少なく、特に学者が書くものはほぼないといってよい。長崎県立大学の荻原寛名誉教授は研究対象にチャバカノ語も含めているようだが、ネットで見られる論考はイスパニカに掲載されている「マニラ湾沿岸部のスペイン語系クレオールをめぐって」(1995)ぐらいしかない。

そんな状況の中、今年出版されたスペイン語関係の一般書を読んでいたらチャバカノ語について紹介されているページがあったので引用してみる。

「スペイン語の世界」岡本信照(2018)慶応義塾大学出版会

スペイン語の世界
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91-92p

フィリピンのチャバカーノ(スペイン語xタガログ語/セブアノ語)
 東南アジアにもスペイン語が存在する。その地はフィリピンである。チャバカーノ(Chabacano)とは、スペイン語とフィリピン現地語のいくつかとの接触言語の名称である。チャバカーノ語話者が最も多いのはミンダナオ島のサンボアンガという都市で、約50万人のネイティブ話者がいると推定される。農村部へ行けば、チャバカーノのモノリンガルも存在するという。ただし、最近は衰退の一途にあり、ミンダナオ島にも標準フィリピン語(タガログ語)が普及しつつある。その他、ルソン島マニラ湾沿岸の都市カビテでも話されているが、サンボアンガの変種とは異なる。例えば、語彙構成に関して言えば、カビテ方言はスペイン語起源のものが93%を超えるのに対し、サンボアンガ方言は86%とやや少なくなる。つまり、タガログ語やセブアノ語といった現地語由来の語彙の割合は、サンボアンガ方言の方がやや高い。
 ”chabacano”という語は本来「下品な」を意味するマイナス・イメージを帯びた形容詞である。それゆえ、その由来においてはあまり名誉ある名称とは言えないが、フィリピンにおけるクレオール・スペイン語の言語名として今や市民権を得ている。
 このクレオール語がいつどこで発生したかについては諸説がある。1つは、17世紀に香料諸島のテルナテ島(現インドネシア領)で発生したという説だ。ここは、香辛料の商取引をめぐってスペイン、ポルトガル、オランダが争った場所である。16~17世紀の東アジア海域では通商の共通語としてポルトガル語とマレー語が用いられており、やがてこの2言語が混淆したピジンが産み出され、ポルトガル人のみならず、オランダ人や英国人も用いたという。このポルトガル語基盤のピジンがさらにスペイン語と接触した結果がチャバカーノの萌芽であり、17世紀半ばにテルナテ島に住んでいたスペイン語(=チャバカーノ)話者がマニラに移り住むようになってからフィリピンで広めたというのだ。この説の支持者は、サンボアンガ方言を後の18世紀になってから派生した変種と位置づける。つまり、チャバカーノ諸方言一元論を唱えているわけである。2つ目は、18世紀のミンダナオ島に起源を求める説である。1718年、スペインは一度放棄したことがあるサンボアンガをふたたび占領した。この時期、この土地の先住民は不完全ながらもスペイン語を話すようになり、これがチャバカーノの始まりだという。こちらの説に賛同する専門家は、ミンダナオ島の方言とルソン島の方言はそれぞれ別の過程を経て確立したとする多元論で説明しようとする。

岡本が自分で調査して93%やら86%といった具体的な数字を挙げているとは思えないので、誰かの研究成果の孫引きなのではないかと思う。本書は2018年の作だが、上で言及したイスパニカ掲載の荻原の論考と比べてみて、その起源の探求について特に進んだ点は感じられない。

気になるのは、「最近は衰退の一途にあり」というくだり。一直線に衰退しているような書き方だが、カビテやテルナテの変種はともかく、サンボアンガのチャバカノ語についていえば話者数が数十万おり、当地の小学校の母語言語としてカリキュラムにも入っているところからすると、乱暴な言い方だと思われる。フィリピン語(タガログ語)は普及しており、もはやチャバカノ語モノリンガルの人は若い人にはいないが、サンボアンガでは、今後国から禁止されでもしない限り容易には話者は減っていかないと思う。

(おまけ)
参考までに、アキノ政権下で導入された、現行の「母語を基礎とした多言語教育(MTB-MLE)」の資料(英語)をいくつかリンクしておく。

https://www.philstar.com/headlines/2013/07/13/964902/deped-using-seven-more-dialects-under-k-12

ミンダナオの戒厳令がまた延長された

昨日、ミンダナオに敷かれている戒厳令の再延長が上下院で可決された。期限は2019年末まで。

ドゥテルテ政権下でのミンダナオの戒厳令は2017年5月下旬に始まり、今まで約1年半。延長はこれで3度目。

https://news.abs-cbn.com/news/12/12/18/congress-extends-mindanao-martial-law-until-end-of-2019

上の記事では戒厳令で可能になる具体的な中身は書いていないが、軍の配置の増強が可能になるのか、俺には具体的なことはよくわからん。

ちなみに、上の記事でも登場しているように、前々大統領のアロヨはすっかり国会議員として復活している。ひとつ前のアキノ大統領の間は首にサポーターをつけて病人ぶっていたが、大統領が変わるとすっかり治ってしまうようだ。

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2019年1月から始まる日本出国税の例外について(メモ)

本ブログでも以前に「2019年1月から日本も出国税が課されるようになる件」で触れたが、2019年1月7日から日本を出国する際に1000円の「国際観光旅客税」が原則、課税されるようになる。ただ、ここに「原則」と書いてあるように、例外も存在するとのことなので、ここにメモしておきたい。

情報は、国税庁が発信元なので国税庁の「国際観光旅客税について」を見るのが一番詳しい。

このページでは4言語で書かれたパンフレットも用意してあるが、それを見ると、経過措置として2019年1月7日以降に出国する場合でも発券がそれより前の場合は課税されない。つまり、2019年1月7日以降に日本を出国する航空券を買うと1000円高くなっているということだ。

ただし、1月7日以前に発券されたチケットも、それ以後に日時変更などをすると課税されるようになるらしい。

課税対象外なのは2歳未満の子ども、入国後24時間以内に出国する乗継旅客など。外交官や航空機搭乗員らも対象外。

国籍は問わないことから、日本在住の人だけでなく外国人観光客にも課税されることがわかる。単純に考えれば今後、外国人観光客が増えれば増えるほど税収は上がるが、日本人で外国に行く人が減ればその分は相殺されることになる。

チャバカノ語文法入門2

サンボアンガ・チャバカノ語の文法について、習い始めてからそろそろ6年が経過。日常会話で使い始めてからは2年弱なので、実質は2年ぐらい。
基本的なことは言えるようになってきたので、ちょっとまとめてみます。

1. 語順
チャバカノ語の語順には2通りある。それはちょうど、タガログ語に述語から始まる通常の語順の文と、文中に”ay”が入っているang形から始まる文の2通りあるのになんとなく似ている。ただし、チャバカノ語ではタガログ語の”ay”のような文法語はない。

これは例えば、このyoutube解説(英語)ビデオに出てくる例のような感じ。
通常の語順の例:Ya mira el hombre con Jose. (4分目から始まる箇所)  男はホセを見た / 男はホセと会った 。
主語から始まる語順の例:El libro man sale na 5 linggwahe. (10分目から始まる箇所) その本は5言語で出る(=「世に出る」)。

ちなみに、上の解説ビデオはよくまとまっており、英語版のwikipediaを読むよりもよっぽどわかりやすい。

2.フォーカス
自分で2013年にこのブログに書いた「チャバカノ語とタガログ語の比較」の通り、タガログ語などのフィリピン諸語と違ってチャバカノ語には動詞フォーカスはない。この点が決定的にシンプルだと思う。

3.語彙
語彙はスペイン語の影響が非常に強い。セブアノ語の影響はおそらく既にピークを過ぎており、現在では新しいセブアノ語語彙の流入は止まっていると思う。他のフィリピン諸語と同様、若い世代、あるいは高学歴になるにつれて英語の影響が強い。

語彙の面でおもしろいと思うのは、タガログ語と比べた時に中国語(というか広東語)の影響がかなり弱いというところ。おそらく直接的に広東語から借用された単語はほとんどないのではないかと思う。例えば”tata”(父)、”nana”(母)はタガログ語やセブアノ語と同じなので、直接的にはそこから来たように思われる。少なくとも19世紀末までにはサンボアンガでも中国人は多かったようだが、マニラやセブとは比べようがない、ということだろうか。

さて、現在のチャバカノ語のサンプルで、特に大卒の若い世代が話しているのを参考までにリンクしておく。
本人曰く大学までサンボアンガで過ごしており、ところどころに現われる英語から察するに英語も流暢、かつ見た目にはあまり中華系のようにも見えないタイプ。

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サンボアンガの語源の一説

前回に続いて、まだ「フィリピン漂海民」を読んでいる。

「フィリピン漂海民 月とナマコと珊瑚礁」門田修(1986)

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その中に、サンボアンガの名前の由来についての伝承らしきものがある。興味深いので以下、引用してみる。(125-126p)

 ジョホール(マレー半島)の近海でいまと同じように家船生活をしている一団がいた。ある日集団の長老が杭を海底に突きたてて船をもやった。それにならって他の家船もつぎからつぎへと、船と船を結んでいった。ところが長老が海底だと思って杭をさしたところは、大きなエイの鼻の穴だった。夜の間にエイは目をさまし、たくさんの家船を繋いだまま泳いで遠くの海にいってしまった。朝になり気がついた人たちはびっくりしたが、自分たちがどこまで引っ張られてきたのか、どうすれば帰れるのか、分からなかった。それから数日、海を漂っていると陸を見つけた。そこにとどり着きやっとの思いで船を泊めるための杭を突きたてた。その場所がサンボアンガだった。
 杭をサマル語でサンブーアンと言う。サンボアンガ市は船を泊める杭のことだ。今でも漂海民たちはサンボアンガをサンブーアンとか、サンブーと呼んでいる。サンボアンガに着いたのち彼らはスールー諸島を西に進み、現在の海域に住むようになったという。つまり漂海民はいったんフィリピンに行って、それから西漸したので、クブーのように家船にアウトリッガーがついたとしても不思議はないわけだ。伝説からこんな風に推理してみることができる。しかし、クブーがあったからこんな伝説を考えついたのかもしれない。伝説もクブーもいつごろできたのか、それがはっきりしていないのだ。
 伝説にもいろいろある。エイに連れられてサンボアンガに着いたのち、ある人たちは陸に上がり農耕を始め、残りの人たちが漂海民になったとか、ジョホールのことには触れず、サンボアンガからエイに引っ張られてきたとか。そしてタウスグ族のあいだでは、自分たちと漂海民はもともとは一緒に住んでいたが、いかにして彼らと漂海民とが別々に暮らすようになったかという伝説をもっている。

この記述は、ウィキペディアの「サンボアンガ」に載っている説明とも近いし、英語版ウィキペディアの”Zamboanga City“の記述と全く同じ。今日の時点で、英語版のウィキペディアにはこうある。

The city used to be known as Samboangan in historical records. Samboangan is a Sinama term for “mooring place” (also spelled sambuangan; and in Subanen, sembwangan), from the root word samboang (“mooring pole”). The name was later Hispanicized and named as Zamboanga.

(拙訳:当市は歴史的記録ではサンボアンガン(Samboangan)として知られている。サンボアンガンは、シナマ語(サマ・バジャウの言語)で「杭を打つ場所」といい、語根はサンボアン(杭)である。この名は後にスペイン語化してサンボアンガ(Zamboanga)と名付けられた。

ちなみに日本語版はこう。

伝承では、初期のオーストロネシア語族の移住者は、山に住むスバノン族、川岸にいた民族、「花の豊かな地」という意味のジャンバンガン Jambangan という平野に住んでいたルタオ族だった。その後、彼らの子孫で低地に住んだ人々、ボートに乗ってきた人々や海を漂泊する人々、バジャウ族やサマール族がこの地を「サンボアンガン Samboangan」と呼んだ。サンボアンガンはジャンバンガンから来たものという説もある。スペイン人が作図した初期の地図では、すでにサンボアンガンの地名が現れ、「船が着くところ」を意味すると言う説明がなされている。またサンボアンガンは、サマール族やバジャウ族が浅瀬で船を進ませるときに使う木の棒「サブアン sabuan」から来たという説もある。初期のスペイン人植民者はここを「エル・プエブロ・デ・ルタオ El Pueblo de Lutao」、ルタオ族の地と呼んだ。

これらの情報から見るに、どうやら門田が聞いた話は正しいのではないかと思う。もともとサンボアンガにはルタオ族が住んでいたのかもしれないが、スペイン人が使うようになった名前はサマ・バジャウの言語から来た、というのはあり得るのではないだろうか。そして「ルタオ族」の情報はどうも少なく、ようは人口がかなり少なかったのでは、と思う。

というのも、1635年にDon Juan de Chaves率いるスペインがサンボアンガにピラール要塞を作った際、300人のスペイン人と1000人のビサヤ人を連れて行ったとされるが、当時の1300人というのは現地人口と匹敵するぐらいの規模だったのでは、とも思える。であれば、数百年の間にルタオ族は言語的にはすっかりスペイン語なりチャバカノ語なりに席を明け渡したのだとしても、それほど不自然ではないのではないだろうか。

もっとも、もしいつかサンボアンガの山奥か田舎の方でルタオ族だという人たちに会えるのなら、けっこうな大発見ということになるのかもしれない。そんな人たちがいたとして、さらに現在まで独自の言語や伝承をもっていれば、の話だが。