レノボideapad 300の日本語キーボード入力の直し方

昔からネットブックばかり買っているが、レノボは初めて。今回はwindows10が入ったideapad 300というのを買ってみた。

概ね普通に動いているのだが、ファンクション(F)キーが赤いボタンを押しながらじゃないといけないのがカタカナ変換のときに面倒。

それから、日本語入力のときにアットマークとかかぎかっこの出方がおかしい。こちらはキーボードの設定の問題なので、ちょっと調整すればすむ。

やり方は下のサイトを参考に、ただ選ぶキーボードは「日本語PS/2 キーボード8106/109キー)」というやつ。

http://osusume4u.com/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84thinkpad-x1-carbon-%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89-%E8%A8%AD%E5%AE%9A/

これで再起動すれば普通に動くようになった。最初のままでも無視して使えないことはなかったんだけど、やっておいた方が気分がいい。

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っ(促音)と入声

週に一回は更新しよう、ということで、今日もテキトウに書き散らかしてみます。

日本語の促音=(っ)って、どうやって発音するんでしょうか。というか、音がないのに「発音」と呼べるんだろうか、とふと思いました。
しかしながら、口の形は(次の子音によってバリエーションがあるけど)ちゃんとあるし、外国人向けに説明もできる。これってかなりユニークですよね。

実際、今まで他の言語でこの「音」があるって聞いたことがない。

と、思っていたら、ウィキペディアの「促音」の頁に興味をひかれる記述を発見。曰く、

促音に類似した音素・音結合はイタリア語等の欧州地域の一部、及び朝鮮語、広東語、ミン南語、台湾語、ベトナム語などの古代中国語の声調の一つである入声を保存している東アジア地域に分布している。

促音とは違うが似ているらしい。イタリア語はともかく、古代中国語にあったという「入声」という声調がキーポイントといれています。「入声」って何?ということで再びウィキペディア↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E5%A3%B0

この声調、どのぐらい昔の中国語にまで見られるんだろうか。そして、日本語への影響はあったんだろうか。ここでも興味深い記述がある。曰く、

室町時代には-tの入声があ」ったらしい。たかだか5~600年前ですよね、これ。

機会があったらもっと調べたいっす。

まあわかる日本語

学者ではありませんが、最近は、言語の変容に関心があります。借用とか死語とか、若者言葉からの普遍化とか実際に観察していくとおもしろいです。ましては外国語の変容はなおさら興味深い。

言語計画というか言語政策にも関心があります。日本語を話す外国人が増えているポストコロニアルな状況の中で、日本語という言葉のデザインをどうするか、というのを考えるのはなかなか興味深いテーマです。ま、一般市民の私としては考えるだけですが。

戦前・戦中・戦後の日本語教育に関する文献を少し読んで、戦後、国際交流基金が日本語や日本文化を広めるという使命を帯びているにもかかわらず非常に微妙な位置づけ(予算的にも)しか与えられていない理由がわかったような気がしました。日本政府は直接的な文化的要素の押し付けは弱め、ODAによってプレゼンスを高めていく道を選んだのだ、という風に理解しています。

ところが、高度経済成長以降の外国人労働者等の大量流入によって、日本国内ですら多文化共生やらということが言われるようになってきています。特に、非漢字圏(ここではとりあえずベトナムも含めます)の国からの人が増えてきたので、外国人にとっての日本語の学びにくさということが、かなりの程度問題の表面に上がってきていると思います。

しかし、外国人が増えて日本語が難しいから日本語を簡単にしていきましょう、という論法ではネイティブ日本人が納得するはずもなく、結局、日本語は硬直しています。未来もなさそうです。

で、ここで目を外へ向けてみると、言語的には似たような言葉なのに全然違う状況になっている言葉があります。韓国語です。俺は韓国語を話せませんが、特徴を聞いていると、明らかに簡単そうです。

何がって、漢字です。基本的に韓国語には漢字の読み方が1種類しかないそうだし、そもそも漢字をメインに使っていない。この2点によって、仕事や教育言語として使うための言語学習に必要とされる時間が圧倒的に短縮できるに違いない。

戦中から韓国(というか朝鮮)は国語(クゴというそうです)としての韓国語の確立に取り組んだが、その際にハングルを正書法として選んだことが、先見の明だったと思います。

反面、日本語は戦後にローマ字化をしそびれました。おかげで、日本語を話せるようになっても、読み書きレベルが上がらないために社会的地位を獲得できない外国出身者が非常に多くなってしまった。結果、高等教育機関では既に、非漢字圏の人向けには、日本語で論文を書くコースではなく英語だけで済ませるコースを売り出している状況。ビジネスでも楽天等に代表される企業は、日本語よりも英語で、という流れに拍車をかけている。近頃は、(1)電車の広告等でも、英語の文章や単語をカタカナ化せずに使用する例が増えてきた(例:”let’s go!”など)、(2)民放の外国ドラマ的シーンなど、吹き替えでなく字幕である(例:金スマ)。日本語より英語、という流れは、社会全体としてこれからますます加速していくだろう。

だから、理想論を言うと、生き残るためには、日本語は変わらなければならない。必要な項目を以下に列挙する。

ひとつ目。簡素化しなければならない。これに関しては、最近は、方言が伝承されてなかったり、色の名前やことわざが減ったり、時候の挨拶の省略など、既に日本語はある意味簡単になってきている。政府レベルでも戦後、漢字を簡単にしてみたり、常用漢字を作ったり、その総数を減らしたり、法令の言葉を現代語にしたりとかいろいろ努力はしている。が、いかんせんペースが遅すぎる。常用漢字など、思い切って3分の1ぐらいにしてしまうべき。それから、漢字検定は、いろんな意味で無駄なので、もう止めにしてほしい。

ふたつ目。リンガフランカ化しなければならない。上の簡素化とは一見矛盾するようだが、いろんな日本語の変種の存在を話者が容認することが必要。幅を持たせることで、第二言語話者が日本語を使いやすいようにしないとしょうがない。これは、都市部を中心に少しずつ広がりつつある。

例えば、文法上おかしいけども意味をとるのに全く障害がないような言い方を、いちいち細かいことを気にしないで話せるようにする。
たとえば、「じゃなかったら」ということろを「じゃないだったら」と言ったり、「わかるから」というところを「わかるだから」と言ったりしても目くじらを立てないこと、というか、社会的に半人前というレッテルを貼らないこと。

このふたつは、おそらく移民が増える社会では自然と起こることだと思う。そして実はクレオール化も、多かれ少なかれ上記と似たような経緯で起こっているはず。

NHKアナウンサーの日本語

テレビを観る習慣はすっかりなくなってしまっているのだが、実家ではいつもテレビがついている。で、何気なく観ていたら、とあることに気づいた。

NHKアナウンサーの複数が、10分とか30分とかを「じゅっぷん」と言わずに「じっぷん」と言っているのだ。いわゆるアナウンサーの日本語でそう規定されているんだろう。

俺からすると、古い日本語に聴こえる。俺が普段話す日本語話者で会話のときに「じっぷん」を使っている人はいないから。

外国語としての日本語の教科書では、今でも「じっぷん」式のものが見られるが、おそらくマジョリティは「じゅっぷん」式ではないだろうか。

日常でよく使われている方をとるか、それとも「正統」な発音をとるか。言語統治の政治が表れているな、と思った瞬間でした。

実は、今週は日本語や社会言語学の本をいくつか読んで、言語の政治性についてよく考える機会がありました。
まずカルヴェの「言語学と植民地主義」では、徹底的に権力への批判が繰り広げられ、少数言語の方言化とか周辺化がこきおろされていました。(が、著者のカルヴェは後年、フランス語を推し進める「フランコフォニー」派に180度転換したそうです、興味深い。)
次に読んだ安田敏郎の『「多言語社会」という幻想』では、植民地体制のもとでの国語=日本語について批判が繰り広げられました。
そして、上の安田も一章を担当している「台湾韓国沖縄で日本語は何をしたのか」では、戦後も含めて、日本の植民地主義がそれぞれの地域で何をもたらしたのか、をよく理解する手助けになりました。

そうやって近代的言語としての日本語についてよく考えていたところでした。言語の政治性とかっていう問題には答えがないみたいなので、これからも一生考えながら(答えを出せずに)生きていくんだと思います。でも、背景を知っておくことは悪いことじゃないでしょう。