比政府の認識しているアブサヤフの現人質数は31名

GMAニュースによれば、現防衛省長官であるロレンサナが去る3月9日に語った現状の人質数は、外国人24名、フィリピン人7名の計31名とのこと。政府が認識している人質の人数ということで、これまでの報道機関が報じていた数より信頼ができる。

http://www.gmanetwork.com/news/story/602710/news/nation/abu-sayyaf-hostages-nearly-double-during-duterte-admin-says-lorenzana

話の趣旨は、デュテルテ政権が発足した時点では18名だった人質が今では31名と増加している、というもの。

ではここで、内訳を改めて計算してみよう。私が報道を追っていて試算していた人数は、

オランダ人 1名
マレーシア人 5名
ベトナム人 13名
インドネシア人 7名
フィリピン人 5名

の31名だった。全体数こそ合っているものの、フィリピン人の数が2名足りず、外国人の数が2名多すぎることになる。
誤差が出た原因として可能性の高いのは、これまで「マレーシア人」または「インドネシア人」とカウントされていた人のうち2人が実はフィリピン国籍ということではないだろうか。
彼らはボルネオ島の中でもフィリピンに近いところで拉致されているため、どのみち民族的にはおそらく大した差はないだろうし、それに重国籍ということもありうる。

ところでもうひとつ上記からわかるのは、やはり日本人の伊藤は政府的にも人質としてカウントされていない、ということ。日本政府もきっと同じなんだろう。ただ、いつからそうなのかはネット上に記事が見つけられないのでわからない。少なくとも拉致された時点では日本政府も動いたと思うのだが。。

フィリピンパブ嬢の社会学 (新潮新書)
中島 弘象
新潮社
売り上げランキング: 603
年金 de リッチに暮らす in ダバオ
足立 恭一郎
ブイツーソリューション (2015-09-30)
売り上げランキング: 363,199

アブサヤフが新たにインドネシア人3名を誘拐

つい先日にアブサヤフからフィリピン人2名が救出されたところなのに、実は同日にはインドネシア人3名が新たに誘拐されていた。場所は、マレーシアとフィリピンの間の海だという。

(英語記事)
http://www.thejakartapost.com/news/2017/01/20/three-indonesians-kidnapped-by-abu-sayyaf.html

先日のスター紙の記事に載っていた情報から計算すると、人質は今回のを合わせて以下となる。

オランダ人 1名
ドイツ人 1名
マレーシア人 5名
ベトナム人 6名
インドネシア人 7名
フィリピン人 6名

10月あたりに誘拐された韓国人船長が数えられていないのが気になるところだが、私の知らぬ間にもう解放されているのかもしれない。
また、何年も前に誘拐された日本人の伊藤はずっと前から数えられていないものの、アブサヤフと行動をともにしていると見られている。

脱出老人: フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち
水谷 竹秀
小学館
売り上げランキング: 89,963
日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」 (集英社文庫)
水谷 竹秀
集英社 (2013-11-20)
売り上げランキング: 40,252

アブサヤフに誘拐されたフィリピン人2名を救出

1/19、フィリピン国軍がスールーでの作戦中、誘拐されていたフィリピン人2名を救出した。この2名は2016年10月26日にスールー沖で誘拐されていた。

(英語記事)
http://www.philstar.com/nation/2017/01/19/1664152/jtf-sulu-rescues-two-abu-sayyaf-hostages-indanan
http://www.rappler.com/nation/159013-abu-sayyaf-kidnap-victims-rescued-sulu

スター紙は上の記事の中で、残る人質は以下だと伝えている。

オランダ人 1名
ドイツ人 1名
マレーシア人 5名
ベトナム人 6名
インドネシア人 4名
フィリピン人 6名

10月あたりに誘拐された韓国人船長が数えられていないのが気になるところだが、私の知らぬ間にもう解放されているのかもしれない。
また、何年も前に誘拐された日本人の伊藤はずっと前から数えられていないものの、アブサヤフと行動をともにしていると見られている。

脱出老人: フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち
水谷 竹秀
小学館
売り上げランキング: 89,963
日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」 (集英社文庫)
水谷 竹秀
集英社 (2013-11-20)
売り上げランキング: 40,252

サンボアンガ沖で漁民8名が海賊に殺された件

1月10日の早朝に、サンボアンガ市のラウド・シロモン島付近で海賊行為があり8人が殺された。事件は、15人が乗っていた漁船に2艘のスピードボードで海賊が襲ったもので、この海賊はアブサヤフと見られる。8名はいずれもフィリピン人で、サンボアンガ市内在住(ちなみにサンボアンガ市はフィリピンで3番目に広大な市である)。

助かった7人は海に飛び込み、泳いで近くの島に逃げることができた。

(英語記事)
http://www.philstar.com/headlines/2017/01/11/1661645/pirates-kill-8-fishermen-zamboanga
http://www.rappler.com/nation/157868-pirates-kill-boat-crew-zamboanga
http://newsinfo.inquirer.net/860972/8-zambo-fishermen-killed-in-attack

ラップラーの記事によれば、1月3日にも2艘のスピードボードで海賊が船を襲おうとしたが、通報を受けた海上警備隊によって阻止されていたという。ちなみにこの船はダバオからサンボアンガに行く途中だった。

囚われ人 パラワン島観光客21人誘拐事件 [DVD]
アミューズソフトエンタテインメント (2013-12-20)
売り上げランキング: 143,822

本ブログ内のアブサヤフ関連事件の記録はこちら→ ミンダナオ治安(テロ関連)

アブサヤフが新たにフィリピン人4名を拉致

12月20日に、また拉致があり、アブサヤフの犯行によるものだと見られている。場所はセレベス海(ミンダナオの南から南西)の中でスールーの近くで、フィリピンの漁船に乗っていた漁民が被害者だという。被害者の住所は南サンボアンガ州(南ラナオ州の隣り)。

(英語記事)
http://www.sunstar.com.ph/zamboanga/local-news/2016/12/21/4-filipino-fishermen-feared-kidnapped-abu-sayyaf-sulu-516280
http://www.japantimes.co.jp/news/2016/12/21/asia-pacific/abu-sayyaf-ransom-seeking-militants-believed-kidnapped-four-filipino-fishermen/

これで人質は合わせて以下の26名になるはずだが、フィリピン人はもう1名いるかもしれない(以前あるメディアで1名多く報告していて、その信ぴょう性の判断ができない)。

オランダ人 1名
ドイツ人 1名
韓国人 1名
マレーシア人 5名
ベトナム人 6名
インドネシア人 2名
フィリピン人 10名

囚われ人 パラワン島観光客21人誘拐事件 [DVD]
アミューズソフトエンタテインメント (2013-12-20)
売り上げランキング: 143,822

16,17世紀サンボアンガの歴史

サンボアンガの歴史。英語で、Tony Cabrestanteの著名で長文の解説がある。
http://www.zamboanga.com/html/history_zamboanga.htm

まず、原住民は陸続きでやってきたネグリートとする。フィリピン諸島で共通。今の地形を見る限り、当時はパラワンとスール―諸島がそれぞれボルネオとくっついていたのだろう。

次にサンボアンガへ渡ってきたのはスバノン族。その後、バジャウ、サマル(この名前はフィリピンでよくある民族名だが、それぞれ別々と考えるべきだろう)、ヤカン、タウスグ。このうち、最後のタウスグが一番強かったようだが、スペイン人が来た時点ではスバノン族もかなりいたようだ。

ちなみにサンボアンガという名前はサマルやバジャウが使っていた”sabuan”という、ビンタ(ボート)を陸付けするための柱がたくさんあるところ、という意味の”samboangan”に由来するという。その前はスバノンは「花のあるところ」という意味の”Jambangan”で呼んでいたという。

さて、1595年にはじめてスペイン人がサンボアンガに基地を作ったとき、今のフォート・ピラールのあるところではなく、カルデラ湾(Caldera bay)の”Barrio Recodo”という場所が拠点だった。今はイワシの缶詰工場がたくさんあるところ(地図+航空写真を参照)で、アヤラの手前だ。この地区は漁民ばかりで、見た感じ貧しいムスリムがたくさんいるところで近づきがたい。

当時作られた基地は維持する資金がマニラになかったのですぐに放棄され、その後40年近くサンボアンガからスペイン人はいなくなってしまった。戻ってきたのは1634年、今度は今の旧市街のところを制圧し、翌年にはフォート・ピラールの原型となる砦を作った(その後、また放棄して何十年も経って戻ってきた後に再建したのがフォート・ピラール)。

そんなわけで、フォート・ピラールができる前にはチャバカノ語が使われるための要素は確認できない。

当時の記述は、日本語訳されているモルガの古文書「大航海時代叢書〈第I期 7〉フィリピン諸島誌」にもたくさん載っている。古書にしては珍しく、送料込みで1000円以下で手に入るのでオススメです。

大航海時代叢書〈第I期 7〉フィリピン諸島誌
モルガ
岩波書店
売り上げランキング: 1,054,038

最後に、サンボアンガの歴史については、以下のブログでも文献紹介がある。非常に興味深い。
https://spotswings.wordpress.com/notes-on-zamboanga-from-the-founding-of-la-caldera-in-1595-to-the-cholera-of-1916/
https://spotswings.wordpress.com/2014/01/27/zamboangabiblio/

アブサヤフが韓国人船長を含む2名を拉致

アブサヤフによる誘拐事件の記録。

去る10月20日に、韓国人船長パク・チュル・ホン(Park Chul Hong)とフィリピン人が一名ずつアブサヤフによってタウィタウィ州のボンゴ町沖で拉致された。この船は11400トンの商業船で、船長がいなくなった後も当初の予定通りオーストラリアに向けて航海を続けているという。

(英語記事)
http://www.rappler.com/nation/149945-south-korea-ship-captain-kidnapping-philippines
http://www.ibtimes.com/isis-asia-islamic-states-abu-sayyaf-kidnaps-south-korean-ship-captain-crewmember-2435309

アブサヤフによる海上での誘拐は、これまでは漁船など小型のものばかりだった。今回の事件は、銃で武装した10人が乗りこんできたとされていて、もはや現在の海賊と言えるようなもの。

ところで韓国人といえば、2015年1月にも韓国人が一名、サンボアンガ・シブガイ州RTリム町で誘拐され、10か月後に殺害された事件がある(参照)。韓国政府は、アブサヤフと2度目の解放交渉をしなければならないかもしれなくなってしまった。

なお現在、その他にアブサヤフによって拉致されているのは、オランダ人のフォトジャーナリスト1名、マレーシア人5名、インドネシア人2名にフィリピン人が4名と報道されている。2010年にスール―のパングタラン島で誘拐された日本人の伊藤敏雄は、現在2012年の記事ではアブサヤフに自発的に同行しているとされ、既にリストには入っていない。