サンボアンガの語源の一説

前回に続いて、まだ「フィリピン漂海民」を読んでいる。

「フィリピン漂海民 月とナマコと珊瑚礁」門田修(1986)

フィリピン漂海民―月とナマコと珊瑚礁
門田 修
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その中に、サンボアンガの名前の由来についての伝承らしきものがある。興味深いので以下、引用してみる。(125-126p)

 ジョホール(マレー半島)の近海でいまと同じように家船生活をしている一団がいた。ある日集団の長老が杭を海底に突きたてて船をもやった。それにならって他の家船もつぎからつぎへと、船と船を結んでいった。ところが長老が海底だと思って杭をさしたところは、大きなエイの鼻の穴だった。夜の間にエイは目をさまし、たくさんの家船を繋いだまま泳いで遠くの海にいってしまった。朝になり気がついた人たちはびっくりしたが、自分たちがどこまで引っ張られてきたのか、どうすれば帰れるのか、分からなかった。それから数日、海を漂っていると陸を見つけた。そこにとどり着きやっとの思いで船を泊めるための杭を突きたてた。その場所がサンボアンガだった。
 杭をサマル語でサンブーアンと言う。サンボアンガ市は船を泊める杭のことだ。今でも漂海民たちはサンボアンガをサンブーアンとか、サンブーと呼んでいる。サンボアンガに着いたのち彼らはスールー諸島を西に進み、現在の海域に住むようになったという。つまり漂海民はいったんフィリピンに行って、それから西漸したので、クブーのように家船にアウトリッガーがついたとしても不思議はないわけだ。伝説からこんな風に推理してみることができる。しかし、クブーがあったからこんな伝説を考えついたのかもしれない。伝説もクブーもいつごろできたのか、それがはっきりしていないのだ。
 伝説にもいろいろある。エイに連れられてサンボアンガに着いたのち、ある人たちは陸に上がり農耕を始め、残りの人たちが漂海民になったとか、ジョホールのことには触れず、サンボアンガからエイに引っ張られてきたとか。そしてタウスグ族のあいだでは、自分たちと漂海民はもともとは一緒に住んでいたが、いかにして彼らと漂海民とが別々に暮らすようになったかという伝説をもっている。

この記述は、ウィキペディアの「サンボアンガ」に載っている説明とも近いし、英語版ウィキペディアの”Zamboanga City“の記述と全く同じ。今日の時点で、英語版のウィキペディアにはこうある。

The city used to be known as Samboangan in historical records. Samboangan is a Sinama term for “mooring place” (also spelled sambuangan; and in Subanen, sembwangan), from the root word samboang (“mooring pole”). The name was later Hispanicized and named as Zamboanga.

(拙訳:当市は歴史的記録ではサンボアンガン(Samboangan)として知られている。サンボアンガンは、シナマ語(サマ・バジャウの言語)で「杭を打つ場所」といい、語根はサンボアン(杭)である。この名は後にスペイン語化してサンボアンガ(Zamboanga)と名付けられた。

ちなみに日本語版はこう。

伝承では、初期のオーストロネシア語族の移住者は、山に住むスバノン族、川岸にいた民族、「花の豊かな地」という意味のジャンバンガン Jambangan という平野に住んでいたルタオ族だった。その後、彼らの子孫で低地に住んだ人々、ボートに乗ってきた人々や海を漂泊する人々、バジャウ族やサマール族がこの地を「サンボアンガン Samboangan」と呼んだ。サンボアンガンはジャンバンガンから来たものという説もある。スペイン人が作図した初期の地図では、すでにサンボアンガンの地名が現れ、「船が着くところ」を意味すると言う説明がなされている。またサンボアンガンは、サマール族やバジャウ族が浅瀬で船を進ませるときに使う木の棒「サブアン sabuan」から来たという説もある。初期のスペイン人植民者はここを「エル・プエブロ・デ・ルタオ El Pueblo de Lutao」、ルタオ族の地と呼んだ。

これらの情報から見るに、どうやら門田が聞いた話は正しいのではないかと思う。もともとサンボアンガにはルタオ族が住んでいたのかもしれないが、スペイン人が使うようになった名前はサマ・バジャウの言語から来た、というのはあり得るのではないだろうか。そして「ルタオ族」の情報はどうも少なく、ようは人口がかなり少なかったのでは、と思う。

というのも、1635年にDon Juan de Chaves率いるスペインがサンボアンガにピラール要塞を作った際、300人のスペイン人と1000人のビサヤ人を連れて行ったとされるが、当時の1300人というのは現地人口と匹敵するぐらいの規模だったのでは、とも思える。であれば、数百年の間にルタオ族は言語的にはすっかりスペイン語なりチャバカノ語なりに席を明け渡したのだとしても、それほど不自然ではないのではないだろうか。

もっとも、もしいつかサンボアンガの山奥か田舎の方でルタオ族だという人たちに会えるのなら、けっこうな大発見ということになるのかもしれない。そんな人たちがいたとして、さらに現在まで独自の言語や伝承をもっていれば、の話だが。

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フィリピン初の自爆テロ

このところ忙しくてこのブログもあまり更新できていないし、ニュースも見られてない。今回、日本大使館からの注意喚起メッセージをもらってようやくバシランでのテロについて知った次第。自称サンボアンガ・ウォッチャーとしては、このブログ上で記録漏れがあるのは嫌なので以下に載せておきたい。

事件があったのは7月31日、バシラン州の北西部にあるラミタン市を出たチェックポイント。車の運転手による自爆テロと見られており、民兵、一般人合わせて11人(運転手含む)が亡くなり、他に9名が負傷した。爆弾はIED(自家製爆弾)と見られている。

フィリピンではこれまで自爆テロはなかったので、アブサヤフが新しい戦法を試しているのでは、という見方もある。

(英語記事↓)
http://newsinfo.inquirer.net/1016464/suicide-bombing-eyed-in-basilan-attack
https://www.rappler.com/nation/208594-basilan-blast-abu-sayyaf-furuji-indama-terror-even-in-hiding

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2013年のサンボアンガ危機の犯人一味のうち、97人が釈放された

MNLFの2013年のサンボアンガ危機の犯人一味197のうち、97人が5月28日に釈放された。基本的にバシランとスールー出身の男たちで、女性は1人のみとのこと。最終的に、彼らには一人5000ペソの罰金が科されただけにとどまった。

残る一味のメンバーは100人で、もっと罪の重い中核メンバーと思われるが、それにしてもこの97人に対する罰の軽さは被害者を落胆させていることは間違いない。そもそも、MNLFのリーダーであるヌル・ミスアリは部下の一部が「暴走」したのに勾留すらされておらず、もちろん責任もとっていないのが流石フィリピンというか、外からは理解しづらい部分だと思う。

(参考英語記事↓)
http://news.abs-cbn.com/news/05/28/18/court-frees-97-mnlf-members-in-zamboanga-siege
https://www.philstar.com/nation/2018/05/28/1819430/zamboanga-city-guard-96-charged-over-siege-freed

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テルナテ島で話されていた言語はテルナテ語だったという当たり前の話

チャバカノ語のルーツをたどる研究メモ。

日本人でチャバカノ語を研究している人が歴史的にほぼ皆無な中で、鶴見良行は昭和の時期にサンボアンガやコタバト等を旅していて興味深い記述を残している。彼は著作がたくさんあるので、少しずつ読んでいくことにする。今回読んだのは、この本。

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P193-194に、ハルマヘラ(Halmahera)マルク州北部の島。テルナテ島は、この属島。
ウォーレスを含めて、当時の書物は、ハルマヘラをGiloloと記しているが、これはトベロ族の村名で、ジャイロロと発音する。かねてよりの疑問氷解。トベロ語は、マラヨ=インドネシア語系とはまったく異なるという。

との記述あり。「テルナテ」はカビテ州にある町の名前でもあるのだが、もともとはこのインドネシアのテルナテ島の王族がポルトガル人によって追い出され、カビテに住み着いたのが由来とされている。テルナテには「テルナテーニョ」というチャバカノ語が残っており(ただし絶滅しかかっているが)、サンボアンガのチャバカノ語と意思疎通できるぐらい類似しているため、元は共通の言語だったと推定されており、マニラやカビテからサンボアンガに伝わったのだろうと考えられている。

俺のかねてよりの疑問は、追い出されたテルナテの王族の母語は何だったのだろう、ということだったのだが、テルナテ島がハルマヘラ島の属島という情報を上記著作から得たことで自分で言語状況を検索してみる気になった。

英語版ウィキペディアを見ると、たしかにテルナテ語(テルナタ語)というのがあって、ティドーレ(tidore)語、トベロ語等と同様にマラヨ語系とは系統が違う西パプア系とある。ということは、やはりテルナテ語はタガログ語とは全然似ていないことになる。

もう少し調べてみるに、オランダの学者Van Der Veenは北ハルマヘラ諸語(North Halmaheran)について、非オーストロネシア(=NAN)諸語の中でも、異民族との接触のためかテルナテに近づく程SOVからSVOに変る傾向が顕著と述べている。語順が変わっていくという話は、それはそれで面白い(たとえばフィリピン諸語と現代マレー語は同じアウストロネシア語族なのに語順が違う)。

最後に、テルナテ島のビデオがyoutubeで観られるのを見つけたのでそれを紹介して終わりにしたい。テルナテ島は大航海時代には地理的にとても重要だった場所なので、観光資源はやはり遺跡。下は、テルナテ王宮を紹介したビデオ↓

また、テルナテ島には北マルク・ムハマディア大学という大学があるそうで、そこには日本語学習者もいるんだとか。用事はないが、親近感がわいたので、いつか行ってみたい。
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_4.html

アブサヤフがバシラン州の村を襲撃

去る8月21日になるが、アブサヤフの一団がスールー諸島の手前にあるバシラン州(サンボアンガの向かいにある島)の村で行われる祭りを狙って襲撃を行い、村人9人が死亡、10人が負傷した。下のリンク先の英語記事にはビデオもついている。

(英語記事)
http://www.rappler.com/nation/179451-basilan-abu-sayyaf-attack-civilians-dead

同記事によれば、この襲撃はアブサヤフの他の戦線から軍の注意をそらすための作戦とみられる、とのこと。

そんな理由で襲撃を受ける方はたまったものではない。近年、バシランやスールー諸島からサンボアンガをはじめとする他州への移民が進んでいるのは、このような治安の悪化が背景にあるのは間違いない。ちなみにサンボアンガはものすごい勢いで人口が増えており、既に人口は100万人を超えているとみられる(この人口は、ミンダナオではダバオに次いで二位)。それだけでなく、サンボアンガ市民のムスリム比率が急激に増えているのも注目される。

このことが市内で使われる言語にも影響が大きな影響を与えているのは言うまでもなく、おそらく特にタウスグ語話者が増えているのだろうが、バシランやスールー諸島の人々は他にもヤカンやバジャウなどいろいろな民族がある。多言語ウォッチャーの私としては、サンボアンガ市内(特にダウンタウン)の小学校などがどうなっているのかも非常に気になる。

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アブサヤフに拉致されたベトナム人一名が脱出に成功

ここのところドゥテルテ政権によるテロ対策が派手すぎてニュースもなかなか追いきれないのだが、今日は久々にアブサヤフ拉致問題についてのアップデート記事を取り上げたい。

6月16日に、アブサヤフの拠点のひとつであるバシラン島に捕らわれていたベトナム人船員のうち一名が脱出に成功し、国軍に保護された。拉致されたのは2016年11月なので、実に7カ月もの間人質としてつかまっていたことになる。

(英文記事)
http://cnnphilippines.com/regional/2017/06/17/ASG-Vietnamese-hostage-recovered.html

上のCNNの記事では、他に26名の人質がいるとされ、21名はスールー、5名はバシランで、バシランに残されているこの5名はベトナム人の同僚。もっと詳しく言うと、バシランにいるグループはアブサヤフ傘下の”Furudji Indama(フルジ・インダマ)”という名前だそう。

別のニュースによれば、6月17日には爆弾製造担当のメンバーがサンボアンガ市内で逮捕されている(といっても、サンボアンガはフィリピン国内でダバオの次に市域が広大で、現場は町はずれだが)。このメンバーは、インドネシアの過激派テロ組織「ジェマ・イスラミヤ」から爆弾製造の訓練を受けたのだという。

(英語記事)
http://cnnphilippines.com/regional/2017/06/17/aide-aby-sayyaf-leader-isnilon-hapilon-arrest-zamboanga-city.html
http://news.abs-cbn.com/news/06/17/17/close-aide-of-hapilon-arrested-in-zamboanga-city

ここからは私見だが、報道を見ていると、国軍による空爆を含む攻勢によりアブサヤフはかなり弱体化しているように見える。

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ミンダナオでの爆破事件で300人が亡くなった(2001~2013年)

先週あたりからもう”ISIS”と呼ばれるようになったマウテグループ&アブサヤフによる南ラナオ州マラウィ市占拠事件(マラウィ危機)は3週間経ってもまだ収束していないが、そろそろ時間の問題といえるような状況になってきたそう。ただし一般人が捕らわれたままで餓死した人もできる模様ではある。

さて、今回は特に新しいニュースもないので、ミンダナオでのこれまでのテロについて振り返ってみる。直近で一番の被害者を出したのは2013年のMNLFミスアリ派による「サンボアンガ危機」でたしか民間人が200人近く亡くなったのではと思う。それ以外では同時期に起きた「ママサパノ」での警官44人が亡くなった事件が記憶に新しいが、ただしこれはテロではなく政治家が黒幕だった。

さて、爆破事件に関しては最新ではないものの、2001~2013年のミンダナオでの被害をまとめた英語記事がある。記事中の表を日本語にすると、

地域          事件数      死者数      負傷者
ソクサージェン    25 125 585
ARMM   15 81 349
サンボザンガ半島 10 48 336
ダバオ地方 6 52 315
北ミンダナオ 5 48 190

となる。地域名に私なりの若干の解説をすると、ジェネラルサントス(ジェンサン)等があるのがソクサージェン、ARMMは南ラナオ州などのイスラム自治区、サンボアンガ半島はサンボアンガ市に南北サンボアンガ州も加えたもの、ダバオ地方というのはダバオ市に南北ダバオ州を加えたもの、そして北ミンダナオはアグサンやスリガオ(サーフィンで有名)等があるところだと思われる。

この間、一番狙われていたのはジェネラルサントスだったのだが、実はダバオ市も空港で2002年に大きな爆発があり、さらに数か月後にも空港に隣接する「ササ」というエリアで爆発が起き計38名が亡くなっている。そんなわけで、去年のダバオ市でのテロは初めてということではない。

(英語記事)
http://www.rappler.com/nation/35493-mindanao-bombs-300-killed-12-years

最後に、以上を見るとサンボアンガは他と比べて目立って多いわけではないことがわかるが、これはあくまで爆発事件の話。サンボアンガ周辺では悪質な拉致の事件が後を絶たず、現在でも外国人を含む約30人が人質になっているとされる(本ブログ「アブサヤフが8歳の人質フィリピン人少年を解放」などを参照。

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