言語のルーツ(とチャバカノ語)

クレオール関係の本を検索しているうちにたどり着いた本。本題はタイトルの通り。

「言語のルーツ」デレク・ビッカートン(1981=1985)

言語のルーツ
言語のルーツ

posted with amazlet at 15.08.15
デレック・ビッカートン
大修館書店
売り上げランキング: 451,986

日本語訳がわけわからんときがありますが、それでも後半あたりからは面白くなってきます。

理論言語学の人たちからすればこの本は古典の仲間に入るのでしょうが、クレオールの研究をもとにチョムスキーとは別のアプローチで「言語の生物プログラム仮説」を説明していくさまは、興味深いです(といって、私はチョムスキーを直接読んだことはないのですが)。

wikipediaの「ビッカートン」紹介によれば、ビッカートンはその後、生物言語学に進んでいき、チョムスキーとかと同じ方面で研究を続けているようです。

私からすると、生物言語学とか理論言語学の研究をするんなら、最初からフィールドになんか行かなくてよかったんじゃないか、と思わなくもないです。ビッカートンにとっては、若気の至りだったんでしょうかね。

さて、ここからは脱線していきますが、本書の中に出てくるクレオールの定義によれば、俺がやっているチャバカノ語はクレオールに含まれないかもしれません。チャバカノ語は、下の2点を真とすれば、典型的なクレオールではありません。

理由その一、そもそもポルトガル系クレオールがその祖先にある可能性。
理由その二、文法の骨格が明らかにフィリピン諸語のものである点。

上記から、ようするにいつ頃にどこで生まれたかも確定できないので、クレオール化にどの程度の時間がかかったのかもわかりません。はっきりしているのは、現在のインドネシアの北マルク(Maluku)州テルナテ島と同名のテルナテ町がフィリピンのカビテ州にあり、そこにチャバカノ語の拠点のひとつがあること。この町の歴史については、まずウィキペディアの「チャバカノ語」に、
「カヴィテ州周辺のチャバカノ語は、モルッカ諸島(現在のインドネシア)のテルナテ島にいたマレー系部族のメルディカ人(Merdicas)が現在のテルナテ町周辺に移住したことによる。テルナテ島は一時ポルトガル人が植民地化したが、後にスペインの植民地となった。そのうち一部の人々が1574年、スペイン人の呼びかけに応じてルソン島に渡りカヴィテを本拠に中国人海賊(林鳳)との戦いに備えた。結局リマホンの襲来は起こらなかったが、メルディカ人共同体はマラゴンドン川(Maragondon River)河口周辺に住み続けた。現在ではその地がテルナテ町と呼ばれ、メルディカ人の末裔はポルトガル語の影響を部分的に残したスペイン語クレオールを使い続けている。」とあり、また同じくウィキペディアの「テルナテ島」の記述によれば、
「スペイン人は~中略~1606年にテルナテ島のポルトガル人が築いた砦を占拠し、スルタンを捕まえてマニラに移送した。」
となっています。

ウィキペディア英語版のテルナテ島では、ポルトガル人が現地のスルタンの許可を得て要塞を作り出したのが1522年。そして、スペイン人による城塞都市「マニラ」が作られたのは1571年から。ここから察するに、ポルトガル語系クレオールが生まれたとするなら、1522-1574年の間としなければなりません(もちろん、ピジンは要塞を作り始める前からあったでしょう)。そしてその言語がテルナテ島で使用されていた段階で既にスペイン語の語彙に入れ替わり、メルディカ人の一団によってマニラの方にもたらされた後、現在のチャバカノ語の原形になった、ということです(ちなみに、Lipski等の学者が言っている説は日本語版の「チャバカノ語」の項の説明とは違う部分がありますので注意。)。

私としては、マニラについてからメルディカ人の2世が現地でクレオールを始めた気がしてなりません。テルナテ島では、現地語を継承するかぎりクレオールを生み出す必要がありませんから。もしそうだとすれば、上に書いた理由その一は先行ピジンにしか関係なくなります。理由その二は、現地社会の優勢言語のひとつがタガログ語だったとすると生まれたときからの宿命だったと思われます(そうするとビッカートンの定義からは外れ、彼の言う「クレオール」には含まれなくなります)。

しかし、ここで疑問がひとつ。メルディカ人はそもそもテルナテ島では母語として何語を話していたのでしょうか。マレー語だったのでしょうか。だとすれば当時のマレー語をちょっと調べなきゃ。。

サンボアンガのチャバカノ語の文法を見ているとタガログ語と相当近いところもあり、いったん生まれてからタガログ語に近づいていったのか、最初からそうだったのか、または実は他のフィリピン諸語の影響なのか、ちょっとわかりません。いかんせん、1600年から最初の言語学的な資料が出てくる20世紀前半までの間に時間がありすぎて、ビッカートンが知りたいような情報はチャバカノ語からは得られそうにありません。

サンボアンガのチャバカノ語については、再びウィキペディアによれば、
「かつてスペイン領フィリピンはメキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)に属しており、1635年6月23日に要衝サンボアンガにサン・ホセ要塞(現在のピラール要塞)が着工した後、ルソン島のカヴィテ州やヴィサヤ諸島のセブやイロイロから派遣された労働者たちがスペイン人やメキシコ人の兵士たちとともに建設に従事した。これにより多様な言語が混ざり合い、その後もスペイン人宣教師・軍人がサンボアンガの政治や宗教に影響を与える過程でスペイン語化が進んだ。」
となっていて、上の仮説から言ってもたしかにピラール要塞を作り始めた頃にクレオール世代がサンボアンガに行って、現地で共通語がない中で主要言語になった、というのは納得がいきます。ただ、マニラ地方で生まれてから20年弱しか経ていないホヤホヤの言語が異なる場所で独自に発展していったとすると、カビテ・テルナテのチャバカノ語とサンボアンガのチャバカノ語が今でも相互理解できるほどに文法的に類似しているのは、ちょっと無理があるのではという気がしなくもないです。定期的に人の交流があったとすれば別ですが。まぁ、あったのかなぁ。

以上、来週末5年ぶりにサンボアンガへ行くので、ちょっとチャバカノ語の歴史を調べ直してみました。いやはや、興味が尽きない。

チャバカノ語のロマン

例によってゆっくりブログを書く時間がないので、ささっとメモっぽく書きます。前から書こうと思っていたフィリピンのチャバカノ語の話。

日本語だと、ネット上ではさわりの部分しか書かれていない。本当におもしろい(と俺が思っている)ところを誰も書いていない、というのが不満です。ま、俺が独り占めできるみたいな気分がしてそれはそれでよいのだけれど。

たとえば、地球の歩き方他では、チャバカノ語はスペイン語のクレオールだと書いてある。が、事態はもっと複雑である。
また、チャバカノ語はサンボアンガで話されている、としか書かれていないのも多い。が、実はチャバカノ語は6つある。
さらに言えば、サンボアンガは現在、危険なので普通の人は入らない方がよいとされている。ますます神秘的に見える感じがありますね。

これからちょっとだけ解説します。ここに、チャバカノ語のロマンがあるのですよ。

まず、チャバカノ語が6つあるという話から。専門的には「フィリピンのスペイン語クレオール(PCS)」と言いますが、これにはサンボアンガのチャバカノ語の他に、
1) エルミタのチャバカノ語
2) カビテのチャバカノ語
3) テルナテ(カビテ州)のチャバカノ語
4) ダバオのチャバカノ語
5) コタバトのチャバカノ語
があります(した)。カッコでし「した」と書いたのは、1)のエルミタのチャバカノ語はすでに絶滅したとされています。あと、ダバオのチャバカノ語も、戦前までは少なくとも話されていたようですが、今はもう絶滅しているんじゃないでしょうか。

1)~3)のチャバカノ語はマニラ周辺なのに対して、4)~5)とサンボアンガのチャバカノ語はミンダナオです。そして、それぞれのチャバカノ語は、相互に理解可能なほど言語的に近いとされています。さて、なぜでしょうか?

実は、上記6つのチャバカノ語は、祖先が同じだった可能性が非常に高いのです。マニラ周辺で話されていたチャバカノ語が、サンボアンガへ行き、さらにそこからダバオやコタバトにも移民とともに行った、とされています。

でも、それだけじゃありません。そもそもマニラ周辺のチャバカノ語は、祖先をたどればフィリピンじゃないところから来ているのです。どこでしょう?

日本語で入手できる情報源としては、鶴見良行「東南アジアを知るー私の方法」がそれに触れています。

東南アジアを知る―私の方法 (岩波新書)
鶴見 良行
岩波書店
売り上げランキング: 153,736

答えは「テルナテ」。カビテにあるテルナテという町は、実は今はインドネシア領であるテルナテという島からの移民によってその名がつけられたとされています。この島、当時はコショウ貿易の中継地点として重要だった時期があるそうです。ちなみに、今となってでは当地では誰もチャバカノ語を知らない、とされています。

が、そもそもテルナテは当時ポルトガルに支配されていました。なので、スペイン語クレオールであるチャバカノ語が話されていた可能性は低いのです。代わりに彼らが話していたのは、ポルトガル語クレオールだったと言われています。それこそが、チャバカノ語の祖先だというのです。フィリピンのスペイン語クレオールの祖先がポルトガル語クレオールなんて、すごくないですか?

たしかにチャバカノ語をよく見ていくと、ポルトガル語の影響と思われるものが見つかります。普通の単語はほぼすべてスペイン語のものに入れ替わっているのに、です。このことはサンボアンガの人でも、一般人は知らないと思います。

当時、ポルトガル語クレオールもしくはピジンは、東南アジアの貿易に重要な役割を果たしていたと思われます。アジアのポルトガル語クレオールには、他にマカオ語や、香港のポルトガル語クレオール等があったようです。

そんなわけで今の私の関心事は、もっぱらチャバカノ語とポルトガル語クレオールについて、それから当時の東南アジアにあった幻の言葉、船員によって使われていたポルトガル語クレオールの正体です。とりあえず南米にいる間は引き続き現代スペイン語の勉強と、それからポルトガル語の勉強を続けるつもりです。

それとは別に、現代のサンボアンガのチャバカノ語とその変容にも興味があります。毎日、早くフィリピンに戻りたいと思わない日はありません。(アマチュアですけど)研究したいことがたくさんです。ま、治安がよくなってくれないとサンボアンガには住めませんがね。

ということで、この話の続きはまたいつか。

チャバカノ語入門

最近、ついにチャバカノ語を習い始めました。この言葉は、俺のスペイン語、タガログ語、セブアノ語その他の知識を全動員して学習することになるので、知的に相当エキサイティングです。

クレオール語を勉強するとき、ただその言葉をやるのももちろんアリですが、その元となった言葉について多少なりとも知っていると非常におもしろいです。かつ、類似性があるわけなので非常に覚えやすい。

ところで、以前、たしかロベール・ジョダンソンの「クレオール語」という本だったと思うのだが、サンボアンガのチャバカノ語について、一般に言われているようなスペイン語クレオール系でなく、ポルトガル語系クレオールに分類されているのを見て首をかしげたことがある。今回、勉強しながらそれを検証するような楽しみもある。

はじめてまだちょっとしか経っていないが、たしかにポルトガル語の影響もあるようだ。ただ、やはりスペイン語の影響は強い。または、昔のポルトガル語&スペイン語ということで、現代のそれとは違うちょうど中間のような言語があったのでは、というような感じもする。このあたり、サンボアンガとポルトガル人の関係を歴史の方から調べてみるとよりいいかもしれない。

細かい文法には今回は触れないことにして、最後にちょっと気になったことを書いて終わりにしたい。

“Zamboanga”の発音についてだが、どうやら、少なくとも最近の教育水準が高めの人は英語風に「ザンポアンガ」みたいな感じで、zを濁った音で発音するっぽい。なるほど、思えば当然なんだけど、チャバカノ語は英語の影響も受けているようだ。

さて、今後とも地道に学んでいきます。とりあえず、まずは日本人で一番チャバカノ語がわかる人間を目指していきます。

クレオールとダイグロシアな日本

家が寒すぎる。。だんだん、ゆううつになってきました。

仕方がないので読書モード。今日の本は、社会言語学。

「クレオール語」 (2000)ロベール ショダンソン著、糟谷啓介・田中克彦訳 (文庫クセジュ)

言語の可能性とか変容とか習得に心を奪われている俺としては、クレオールというのは非常に気になる。特にフィリピンのチャバカノ語は気になって仕方がない。

さて、「クレオール語」には、フランス語系、英語系、スペイン語系、ポルトガル語系、さらにはオランダ語系がある。ようするに植民地支配との関連で生まれた言語なわけです。

それ以外でちょっと似たようなものとしては、商人の間で話されるピジンというのもある。たとえば、国語になる前のマレー語ってそういう類のものだったんじゃないかと。

で、クレオールが亜流か、それとも別個のちゃんとした言語か、というのが政治的には大事なテーマなのだけど、現代言語学はこういう政治的な命題には批判的な立場を貫こう、としているはずです。ポストコロニアルの文化人類学とかの影響が強いっぽい。

ヨーロッパ語とクレオール語の対比をしているうちは対岸の火事なのだけど、ひるがえって日本語と方言の関係をみてみると、どうだろう。

方言といっても、現代の方言と明治初期とか江戸の頃とかのそれっていうのは相当な違いがあるようです。中には、もともと別の言語だったものもあり、それがだんだんと日本語、というか制定された標準語らしいものに変わっていったのがこの150年ほどのはずです。

それはもちろん上記のようなクレオールとは違うのだけど、少なくともダイグロシアな状況には変わりない。すなわち、社会が使用域の異なる2つの「言葉」を用いているわけです。

今まで日本社会って、こういう考え方はおろか、そもそも日本語が人口構成の変化を含めた時代にあわせて変容していくことすら、認めてこなかった。標準語と方言の存在について、ちょうど在日外国人のこどもが外では日本語を話しながら家庭内で親の母語を話すのを特殊だと気が付かないのと同じぐらい、素朴に無視してきたと思う。いつまでこんな時代が続くんでしょうか。