日本でオルタナティブ教育改革が進みそう

10年ほど前、教育改革にはオルタナティブ教育を使わないといけない!と私は思い大学院に入ったわけですが、入った研究室を間違えたらしく残念ながら早々にその道の研究を断念することになりました。しかし、そのとき以来ずっと緩くウォッチしています。

ここにきて2つの動きがあり、戦後最大の改革になるのでは?という気配がしてきています。

ひとつは、夜間中学の地方への設置。どうやらこれには法律の改正は必要ないようでひとえに国会議員の関心具合が文科省を動かしているだけのようです。文科省としては手続きとして調査を終了し、あとは増やすだけじゃないでしょうか。っていうか、増やす分のお金は地方自治体が負担するんですよね、きっと。といっても、校舎は昼のものと同じで二部制な感じにするだけですので、実質は職員の配置だけです。全都道府県とはいかなくとも、おそらく近いうちにそれなりに進むでしょう。

もうひとつは、フリースクールなどを認める案だそう。詳細は知らないが、朝日新聞の記事によれば法案をまとめた、という。

「学校外で義務教育、容認案 フリースクールや家庭学習 超党派、国会提出めざす」
http://www.asahi.com/articles/DA3S11763009.html

これについては通るかどうかすらわからないし、また形もどんどん変わっていくかもしれない。あまり期待はできませんが、こういう動き自体が実に10年近くぶりだったので、つい注目してしまいます。

今後の動きが気になります。

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なぜ新教育は死語になったのか

「新教育」というのは大正デモクラシーの時期に流行っていた教育思想で、それまでの講義中心の教育を「旧教育」と呼び、子どもを中心に置いた教育を推進することを是としていた。自由教育とも言った。20世紀初期の話なので、旧教育=近代教育の歴史は当時においてはまだまだ浅かったわけです。

大正の新教育運動で唱えられたスタイルというか思想には、いろんな種類があったようだが、その中にはアメリカ発ジョン・デューイの経験主義的な進歩主義教育思想とか、あるいはドイツのシュタイナーが進めていた神秘主義的なシュタイナー教育もあったし、なんといってもイタリアで生まれたモンテッソーリの教育があった(当時、モンテッソーリ教育は日本においてはスタイルごとは導入されていないようだが)。なにしろ当時の教育は実験的なものがどんどん生まれていた。1920年代は、イギリスでニールがサマーヒルを開始し、フランスではフレネが独自のフレネ教育を実践していた、そんな時代だった。

そういう時代背景もちょっと頭の片隅に入れつつ、今回、ジョン・デューイの「学校と社会・子どもとカリキュラム」を読んでみた。デューイは、前回書いたように、おそらくカール・ロジャーズの教育観にも影響を与えたと推測します。

デューイはアメリカをはじめ学界では重鎮だったはずなのに、なぜ現在の教育、少なくとも日本の教育にこうも影響がないのだろう、というのが私は非常に不思議でした。というか、他の自由教育についても同様ですが。教育学の教科書で必ずとりあげられるのに、その本質的な部分が実践に生かされていないとしたら、これは先達をバカにしているとしか言いようがありません。「応用」とかいう名のもとに、実際には骨抜きにしているだけの実践というのは、巷ではよく見られます。

さて、本書「学校と社会・子どもとカリキュラム」を読んで、なんとなく状況がつかめてきたように思いました。というのは、この2論文は、実証的な論文ではありません。単なる教育論です。論文が導き出すものは、真理なんてものとはほぼ遠いわけです。

だから、たとえば「当時とは時代の状況が違うから」とかいう理屈で教育の方向性がねじ曲げられたとしても、真理を盾に言い返すことができません。論だから。結局、政策に反映されるのは世論がすべてになってしまいます。近代化を/が要請する軍国主義のもとに、一網打尽にされてしまったのでした。

っていうか、読後、デューイのことを改めてネットで調べてみるに、この人は哲学と心理学がディシプリンの中心であって、教育論はそれ自体実験のようなものだったようです。彼の教育学は、権威ある哲学者が打ち出したものだったから評価されたのであろうと推測します。

日本では戦後、中央が管理する教育システムの一本化によって、オルタナティブ教育の入る余地がなくなってしまいました。いわゆる「私学」でない朝鮮学校やインターナショナルスクールをのぞけば、特に初等中等教育では、不登校ブームあたりまでは皆無だったんじゃないかと思われるほどです。高等教育でさえ、リベラルアーツ教育をできている大学学部はあるかないかぐらいの勢いと思われます。

さらにびっくりすることには、21世紀に入ってからも状況が基本的に変わっていません。きっと、日本経済が大きく揺れないことには、国民の考え方も変わらず従って教育が変わるきっかけもないんだと思います。日本では「新教育」なんて誰も言いませんが、実態は旧教育の延長線上です。他の先進国ではどうなのか、伝聞ではなくて自分の目で見たいなあ。。

モンテッソーリの教育

帰国してからそろそろ7ヶ月。2年間の会社生活で気分はすっかり大人の世界だったのだが、今の仕事ではまた子どもの教育にかかわっている。

前にやっていた似たようなことも、2年ぶりに改めて見てみると、違う感じ方がする。やはり、自分が変わったということに違いない。

そんなこんなで半年ぐらいは新鮮な気持ちで、かつ昔興味を持っていたようなアプローチもすっかり忘れ去っていたのだが、やはり時間が経ってくると前と同じような課題にぶちあたり、そしてその対策を、と考えていくと同じようなところにたどり着いた。

結論。やはり今の(日本の)メインストリーム教育にはなじめない。仮に自分に子どもができたとしても、今の教育システムにはめ込むのは嫌だ。

なので必然的にオルタナティブ教育に目がいってしまう。そして読んでいるのが、この本。

「モンテッソーリの教育」(英題:”Education for a New World”)
モンテッソーリ著

原書は1946年の出版だそうです。

これまで、シュタイナー教育に興味を持って調べたりはしたが、他の自由教育のことを勉強したことはない。で、モンテッソーリも、なんとなくしか知らないわけです。ただ、日本では幼児教育に特化している感のあるモンテッソーリ教育が、海外では小中学校でも展開されているというのは知っていた。高校・大学もあるところにはあるらしい。

俺が大学院で勉強していたときに失望していたことのひとつが、日本ではオルタナティブ教育を教えるところどころか、専門の研究者さえまともにいないらしいということ。ここまで冷遇するのか、っていう感じがします。そのうち変わっていくんでしょうか、これ。

ところで、実はフィリピンにモンテッソーリを教えているところがあって、俺も、現地語の勉強がてら修士課程で勉強してみたいな、と密かに思っている。今度フィリピンに行くときは訪ねてみよう。正規学生でなくて、研究生でもいいかな。

インターナショナルコミュニティ・スクール

大学院でいわゆる多文化教育のようなものを勉強したけど、実は、入学当初は外国人向けオルタナティブスクールの研究がしたかった。

ただ、指導教官はそういう系の先生ではなかったし(入るまで、教育学の中にもいろいろあるというのはわかってなかった。。)、そもそも国内でオルタナティブスクールの研究が盛んなわけでもないようなので、諦めてフィリピン系の家族に焦点を合わせた研究に切り替えてしまったという経緯があります。実際問題としても、需要としてはそっちの方があるわけで。

オルタナティブスクールについてはちらちらと情報収集をしていたのですが、シュタイナー教育とかには興味を惹きつけられつつもなじめず、そして多文化フリースクールができはじめたときには、こんなの予備校じゃん、と思って違和感を感じたりしました。

そんな俺なのに、今の仕事では結果的に、学校に送り込むための予備的日本語教育をやっています。
ある意味ではオルタナティブ教育なんですが、ちょっとね。。

なので、夢と現実のギャップ、というか、なんか悪い意味で大人になったなー、とときどき思います。俺のことを自由人だと思っている人もいるようですけど。。

今でもときどきオルタナティブ教育のことを考えますが、いかんせん日本の現実は厳しいまま変わる気配もない。なので、きっと海外でやる方が楽なんだろうな、という結論です。

と、思っていたら、なんかちょっとおもしろいものを見つけました。群馬にある、インターナショナルコミュニティ・スクールというところです。

http://www.icsnet.or.jp/
http://www.icsnet.or.jp/pdf/JAPN_BROCHURE_ICS2011.pdf

上のブロシュアを見るかぎり、いわゆるサポート校として、アメリカの通信教育をサポートするという仕組みのようです。フリースクールのネックである、大学入学資格をクリアするには、今の日本ではやはりこの方法しかないんでしょうね。

学費を見ると、30万から60万ということで、インターナショナルスクールよりはかなり安め。ブラジル人学校と比較しても十分に競争力のある設定だと思います。それにしても、この不況下でまだ生き残っているのかちょっと疑問ですが。

おそらく経営は相当大変と思います。となればまともな先生を確保するのも大変なわけで。やはり、人材は人徳で集めているんでしょう。

ところで、資料からは見えて来ませんが、学校の沿革は以下のような感じのようです。おもいっきり伝聞ですが。。
http://satoshin.jp/katsudou/haken/houkoku/170225.html

この学校、自分の中で憧れていた理想にかなり近い雰囲気ですが、存在を知っても今では飛び込みたくならない自分がいます。この間にいろいろ経験して、外の世界の楽しさを知ったからかもしれません。もしくは、俺にはもっと別のものがあるということなのかも。

うん、きっとそうだ。