中級エスペラント話者の私がDuolingoのコースをクリアしてみた

Duolingo.comは無料の多言語学習アプリで、アルゴリズムを駆使した最新テクノロジーで新しい学習のあり方を開拓している。特に、学習者の得意不得意に合わせて問題を調整するところが、従来のEラーニング手法より進んでいて効果が高いと言われている。

さて、そんなduolingo上に英語でエスペラントを学ぶコースが追加されたと、エスペラント話者の間では1年ぐらい前に話題になっていた。もっとも、開発したのはボランティアとして参加したエスペラント愛好家自身である(Duolingoは少数言語の保護に貢献しつつ安価にユニークなラインナップを拡充させる目的で、ボランティアを使ったコース開発プロジェクト「インキュベーター」というプロジェクトをやっている)。

そのときは俺は反応しなかったが、ふと思いついて自分でもやってみた。日常生活では全然使っていないとはいえ、一応中級を自負しているからには、ささっとクリアできるだろうと思っていた。

https://www.duolingo.com/

ところが実際には、毎日平均1時間ぐらいプレイすること半月もかかってしまった。そして、会うごとにメモしていった新しい単語の数は、ゆうに300を超えた。恐るべしDuolingo。。

文法はこれまで学習した内容でほぼ全部(95%ぐらい?)は対応できたが、単語の方は日本で出版されている既存の教材にはないような、日常場面で出てきそうなものがかなり含まれていた印象。逆を言えば、日本の既存教材というのは一昔前の教科書的な、コミュニケーション向きでない非日常的単語がけっこうあるということにもなるだろう。

加えて、Duolingoでは「クリックする」のような、ネット世代の用語も20ぐらいは出てきた。こういう単語は、知らない人とチャットするときに使うので出てきているわけだが、日本の高齢エスペラント話者は知らない人も多いのではないだろうか。

そんなわけで、中級の人向けにもけっこう有益なアプリだということがわかりました。

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世界中から、ある言語のマニアがフランスに集結

「エスペラント」は、19世紀末に登場した人工言語。発案者のザメンホフはユダヤ人で、後に反シオニズムに転じた。彼は、ヘブライ語の復活も信じていなかった。

当時の時代的に、エスペラントは社会主義あるいは共産主義の言語として登場した。結果、一時期は盛り上がったが各国で弾圧され、第二次世界大戦後は細々と生き続けることになった。例外として、共産主義国家では基本的に擁護され、たとえば中国では今日まで国営ラジオでエスペラント放送チャンネルがある。

エスペラントの運動はヨーロッパを中心に始まったのと、そもそもヨーロッパ人向けに設計された関係で、言語文化的にかなり白人支配の傾向が強い。ザメンホフのイメージした「世界語」はそもそもそんなものかもしれないが、残念ながらアジア人の私にとってはとても理想的な世界語とは思えない、というのが現在の私の考え。

ともあれ、エスペラントはそんな言語。そしてそのファンたちが今、フランスの地方都市に集結している。年に一度各国で開かれる、「世界エスペラント大会」のためだ。今回は第100回、ということで特に参加者が多めで、約100か国から2600人程度が集まっているという。彼らは一週間ほど「エスペラントを話すウィーク」をやるわけです。

そして、今回は世界エスペラント大会開会式の中継がyoutubeに上がっています。45分目ぐらいから始まります。エスペラントで話した後にフランス語通訳がつく構成になっています(地元の偉い人などの来賓を呼んでいるので)。

多言語には、こんな世界もあります。

論理言語ロジバン

人口が60億人を超えるような世の中には本当にいろんなことがあって、とても一人の人間の手に追えるものではないと思う。まあせいぜいその中でがんばるだけですが、一部を仕事としてそれなりに修め、あとは趣味として適当にやっていく、ということになるんでしょう。

で、今日知ったのは、比較的最近の人工言語の試み。その名も「ロジバン(Lojban)」というらしい。どうもナントカ刑事のイメージと重なってしまって変な先入観を持つことを避けられない。。

さて、人工言語というのはひとつのロマンで、おそらく肉体労働から解放された人間が現れたあたりから存在したんだと思うのだが、いくつかの例外を除いては記録にさえ残っていない。20世紀以降では設計自体が趣味だったり、あるいはSF作品の表現の一部としても使われているようで、必ずしも実用を目論んでいるわけでもないというのが特徴。

そんな中、「ロジバン」はウィキペディアの説明によれば、広く使用されないと存在目的自体が達成されないらしいので、そういう面ではエスペラントと似ている。

俺自身は、高校生のときにエスペラントを独習し始めて現在でも一応現役。エスペラントの思想はともかくとして、実際に使用されているコミュニティにけっこう愛着があるので今でも続けている。早い話、エスペラント話者には良い奴が多い、と思うから続けている。

一方で言語設計の面では、やはりエスペラントはしょせん19世紀の発明である。構造はこのロジバンの方がはるかに現代的で面白いわけで、もし俺が普通の言語学者だったらロジバンの方をホットに感じると思う。左記にわざわざ「普通の」と書いたのは、言語使用を研究対象とする社会言語学的な面からは、エスペラントは今でも十分面白いと思うからだ。

もし俺が高校生のときに「ロジバン」に出会っていたら、こっちの方をやっていた可能性は十分にある。ただ、使用状況の問題で、誰もサポートしてくれず途中で挫折していた可能性も高い。エスペラントのときには、学習を支えてくれる人に俺でもアクセスできたが、それが人工言語の中でのエスペラントの強みだと俺は思っている。

さて、ロジバンだがひとつ気になる側面があり、それはこれが音声言語として設計されているという面だ。どうせ現代的な人工言語を作るのなら、手話としても使えるようにならないものか。俺は凡人なので具体的なイメージはできないが、音声言語と手話言語の融合こそが、もっとも現代的な言語になると思う。

最後に、人工言語一般について言うと、科学が発達するにつれて新しいアイディアが現れるので、新しい人工言語を作る試みは永久に終わらない。その度に新しい言語を学ぶというのはなかなか難しいので、トレンドについていくのはどこかで諦めなければならない。残念ながらそれが現実。また、使用を目的の一部とする人工言語に関しては、設計とは別に普及にどれぐらい本気になるか、というのも重要なファクターで、非常に俗的な面から逃れられない。言語学者は設計は好きだろうが、普及に関しては専門外(というか、おそらく関心が薄い)。よって、マニア自体の絶対数が増えないことには普及の規模拡大もないと思う。人工知能の処理で実用化に結びつかない限りは。。それこそ、少なくとも現時点ではSF的な発想。

主義としてのエスペラント

ここまでの議論で、エスペラントの本質は学びやすさや公平性なんかにはなく、それをどう使うかというアイディアだということがわかったかと思う。

そもそも、言語的には、エスペラントはその歴史的経緯から、西の言葉である。発案され運動が繰り広げられてきたのはヨーロッパが中心で、その結果としてファンも彼の地に集中しており、EUとの接近も指摘できる。かつ、言語構造的にも完全に西の言葉なので、例えばアジア言語を母語とする人にとっては習得にかかる負担はけっこう重い。

だからエスペラントが言語として「国家の支配から独立しているから公平」と訴えたとしても、説得力はない。それは、国際機関が北の国に都合のよいように作られている、というような批判と同じ理屈である。

パワーバランスの不均衡を乗り越えるためには、世界各国でエスペラント主義者がバランスよく存在していることが必要だ。が、エスペラントの普及活動は、それが「正しい」から広めるのではなく、主義に賛同できる人を探す、という類のものであるべきだ。なので、たとえ国家の関与(たとえば公立学校で講座を持つとか)があっても、エスペラントが何なのかを知る機会を与える程度のもの以上は望ましくないと思う。文法の理解度を点数化して評価する等は、まったく本質から外れている。エスペラントの主義を理解しているかということが大切なのである。

究極的には、エスペラント主義はエスペラントを話さなくてもいい。お互いが第二言語同士で、平和の実現のために対話する、それに尽きる。これがエスペラント主義と言ってしまうなら、意識しないまでもエスペラント主義者はかなりの数にのぼるだろう。

ところで、エスペラント関係機関は、上記のような考え方には干渉しない。エスペラント協会専管の仕事は、言語的内容についてである。ありがたいことに、中央が思想を統制するような組織でないので、「なぜ今エスペラントか」は、学ぶうちに自分で見つけろ、ということだと思う。

そんなわけで、以上は、現時点での俺の個人的意見。エスペラントを始めてから今年で12年。ようやく自分の考えがもてるようになってきた。

英語が実現したエスペラント的世界

実は、今回、超短期間だがロサンゼルスを旅行してみて、これは初期のエスペラントが夢見た世界そのものではないか、と思った。

さまざまな人種が暮らす世界で、それぞれの民族はそれなりに自らの言葉を保持しつつ、さらに共通語として別の言葉を話す。舞台設定としては、俺が見たロサンゼルスはこれ以上ないぐらいにエスペラント的なのである。

エスペラントが反対しているのはその英語=アメリカだが、実際に現れた例を観察することによって、エスペラントが目指す世界の修正が必要だと思う。

俺がロサンゼルスの例から導き出した結論は、エスペラントのコミュニティは常に離散していなければいけない、ということだ。でなければ、エスペラントだけで生活できる環境が生まれ、継承語を保持するインセンティブがなくなってしまう。そうなればアメリカで暮らすのと同じで、その地はエスペラントのネイティブ話者だらけになってしまう。

それの何が問題なのか?

エスペラントは、ネイティブ話者ではなくて第二言語として使用するために作られた言葉である。言葉(第一言語)が違う者同士のコミュニケーションのために考案されたのだから、それが同じ者同士になってしまっては本末転倒。それこそ英語と変わらなくなってしまう。

エスペラント話者は(それぞれの地域コミュニティに属した状態という意味での)離散した上で、もうひとつのアイデンティティとして、エスペラント主義を共有する人の集まりでなければならない。結局のところ、エスペラントの存在意義は言語そのものではなくて、それを使用する人と方法にかかっているのである。

この考え方に基づくと、かつてエスペラントを公用語にしようと企てたエスペラント話者がいたが、それは完全に誤りということになる。今後も、国家がエスペラントを所有するに近い事態はあってはならない。

国家の集合や代表、すなわちEUや国連であっても同様だ。エスペラント主義を共有しない人が、必修だからとか就職に有利だからとかの理由で選ぶようであっては、エスペラントは根本的に無価値になってしまう。エスペラントが、英語から学ぶべき点は限りなく多いと俺は思う。

フランシスコ ウラジミール ローレンツ

フランシスコ・ウラジミール・ローレンツという人がいた。めちゃくちゃに語学好きで、彼にとって外国語ー外国語での辞書さえ(しかも複数)編纂したらしい。

学問的な業績にはならないのかもしれないけど、ある意味すごい。名声なんてなくとも、趣味を極めるのも楽しい生き方なんじゃないかと思います。

俺もフィリピンでそういう人生を生きたい。

http://pt.wikipedia.org/wiki/Francisco_Lorenz#Bibliografia

http://www.hermanubis.com.br/Biografias/BioFranciscoValdomiroLorenz.htm

メキシコでパスポルタセルヴォ

メキシコ周遊のはじめとして、メキシコシティの近くにあるプエブラという街に滞在中です。

現代メキシコの食文化の多くはこの地に由来するらしいぐらい、歴史のある街です。まあ半分ぐらいは眉唾に聞いておきますが。

ここでは、久しぶりにエスペラントで生活してます。エスペラントのネットワークを使って旅行するのは、実に6、7年振りと思います。というか、パスポルタセルヴォで泊めてもらうのは実は今回が初めて。でも、10代の時に頭に叩き込んだこともあり、あまり忘れてません。当初の狙い通りです。

メキシコシティでは、自分よりちょっと若い単身者たちのシェアするアパートにいたので、ここで目にする一家の団らん風景は新鮮です。夫婦同士で「アモール(マイラブ)」と呼び合うのも、中年太りが始まったのもお構いなしにイチャイチャしてたりするのも、きっとごく平均的な光景なんだろうと思います。

さて、人の家にお世話になり続けるのも気疲れしてしまうワガママな私は、明日から次の町に移動して、ホテルにでも泊まろうかと思います。

なんせメキシコは宿泊費がリーゾナブル。一方で、街中の駐車場の料金はべらぼうに高いです。せっかく、ガソリン代が日本の半分なのに。税が安いのかなあ。