16世紀の日本でのキリスト教布教とその後の「隠れキリシタン」

自分はもともと歴史や宗教に興味があったのかもしれないが、フィリピンに住んだりタガログ語やチャバカノ語をはじめとするフィリピン諸語を学ぶ中で、キリスト教は避けて通れません。内容についてはさほど興味ないものの、社会にどのように広がったのかや、他の地域と比べてどう違うのか、などの俗的なことは大いに気になるわけで、ひいては同じ大航海時代に日本に広がったキリスト教についても同様の興味があります。

世界遺産になった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、いわゆる隠れキリシタンをフィーチャーしており当時は日本人の間にもこの特異な史実についての関心が高まりました。ただ、下の読売新聞の記事にもありますが、隠れキリシタンの信仰対象は一般に思われているのとはちょっと違うところがあるようで、その道の研究者が書いた本がこの機にいくつか出版されたのは、ありがたいことです。

https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20180409-OYT8T50031/

今回私が読んだのは、長崎のカトリック系大学で長年教授を務め退官した学者、宮崎賢太郎氏のもの。

「潜伏キリシタンは何を信じていたのか」宮崎賢太郎(2018)
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研究書でなく、誰でも読めるように書かれていて、かつ、普通の日本人が宗教について改めて考えることができるようキリシタンの話題以外にも日本における宗教について触れられておりとても面白かった。

そのうち中園成生著『かくれキリシタンの起源』の方も読んでみたい。

世界の裁判見て歩こう

タイトルにあるように外国語学習の本には違いないのだが、ノウハウは書いていないちょっと珍しいタイプの本。

「世界の裁判見て歩こう わたし流外国語上達法」山中信彦(2018)

世界の裁判見て歩こう わたし流外国語上達法 (幻冬舎ルネッサンス新書)
山中 信彦
幻冬舎 (2018-03-15)
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正直、書籍にするほどの内容ではないと思うが、それにしても書かれている情報は珍しい。アメリカ、イギリスをはじめフランスやドイツ、ロシアなどの裁判所でいろんな国の裁判を傍聴し、あるいは傍聴しようとした、という記録。著者はどうもモテない男性であることを前面に出して書きたかったようで、女性の読者にはキモイと思われるような内容もあるのではと個人的には思う。

現在世界で支配的な法律やら裁判所のシステムというのは西洋のものが土台になっているので、世界中で理解不能なほど違うということはおそらくなく、基本的な部分が同じであればその国の言葉がそこまでわからなくても登場人物の役割やおおまかな流れ自体は類推できるところが多く、言語に通じていなくても理解の助けになるよう。

さらに、本物の裁判所は通常テレビには出てこないので、現地に行ってしか見れない、という旅行の醍醐味もある(ただし、国によっては、ほんの一部ネットで見れたりもする)。いろいろな国で傍聴していれば、裁判のやり方はもちろん、傍聴に来る人たちの雰囲気の違いも比べられて面白いだろうと思う。

まずは日本でいろいろと傍聴して学習したあとに、海外に行って傍聴するのがよいと思う。少なくとも中級以上でないと聞き取りも、職員とのやり取りも難しいだろうから、かなり自信がつくようになってからようやく挑戦できる趣味だと思った。俺もいつかやってみたい。

忘れられた日本人

「忘れられた日本人」宮本常一(1955)

忘れられた日本人 (岩波文庫)
宮本 常一
岩波書店
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鶴見良行や高野秀行の本を読んでいたら出てきたので読んでみた。古い本だからどうせ読みにくいんだろうと思って期待していなかったら、出だしからすごい。

明治を生きていた人たちなんて、宮本が執筆した時点で「忘れられた日本人」だったわけなので、現在からすればほとんど中世の人々と大差ないほどの心理的距離感。それを現代的な視点で観察し記録してくれたことに、一読者としては感謝しかない。

また、夜這いや村の女性のエロ話についての記述は昔読んだ赤松啓介の記述とも一致しているように見え、やっぱり本当だったんだなぁ、と思ったりしました。昔の日本人のノリというか性格というか、雰囲気は現代日本に生きる我々には想像しづらいのだけど、高野秀行も言っているとおり途上国に行ってそこで生きている、本なんか読まないようないろんな人々たちと交流していればイメージを得る助けにはなると思います。

宮本常一の他の本もぜひ読みたい。

「スペイン語の世界」の中のチャバカノ語

日本語の文献でチャバカノ語への言及を見ることは非常に少なく、特に学者が書くものはほぼないといってよい。長崎県立大学の荻原寛名誉教授は研究対象にチャバカノ語も含めているようだが、ネットで見られる論考はイスパニカに掲載されている「マニラ湾沿岸部のスペイン語系クレオールをめぐって」(1995)ぐらいしかない。

そんな状況の中、今年出版されたスペイン語関係の一般書を読んでいたらチャバカノ語について紹介されているページがあったので引用してみる。

「スペイン語の世界」岡本信照(2018)慶応義塾大学出版会

スペイン語の世界
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岡本 信照
慶應義塾大学出版会
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91-92p

フィリピンのチャバカーノ(スペイン語xタガログ語/セブアノ語)
 東南アジアにもスペイン語が存在する。その地はフィリピンである。チャバカーノ(Chabacano)とは、スペイン語とフィリピン現地語のいくつかとの接触言語の名称である。チャバカーノ語話者が最も多いのはミンダナオ島のサンボアンガという都市で、約50万人のネイティブ話者がいると推定される。農村部へ行けば、チャバカーノのモノリンガルも存在するという。ただし、最近は衰退の一途にあり、ミンダナオ島にも標準フィリピン語(タガログ語)が普及しつつある。その他、ルソン島マニラ湾沿岸の都市カビテでも話されているが、サンボアンガの変種とは異なる。例えば、語彙構成に関して言えば、カビテ方言はスペイン語起源のものが93%を超えるのに対し、サンボアンガ方言は86%とやや少なくなる。つまり、タガログ語やセブアノ語といった現地語由来の語彙の割合は、サンボアンガ方言の方がやや高い。
 ”chabacano”という語は本来「下品な」を意味するマイナス・イメージを帯びた形容詞である。それゆえ、その由来においてはあまり名誉ある名称とは言えないが、フィリピンにおけるクレオール・スペイン語の言語名として今や市民権を得ている。
 このクレオール語がいつどこで発生したかについては諸説がある。1つは、17世紀に香料諸島のテルナテ島(現インドネシア領)で発生したという説だ。ここは、香辛料の商取引をめぐってスペイン、ポルトガル、オランダが争った場所である。16~17世紀の東アジア海域では通商の共通語としてポルトガル語とマレー語が用いられており、やがてこの2言語が混淆したピジンが産み出され、ポルトガル人のみならず、オランダ人や英国人も用いたという。このポルトガル語基盤のピジンがさらにスペイン語と接触した結果がチャバカーノの萌芽であり、17世紀半ばにテルナテ島に住んでいたスペイン語(=チャバカーノ)話者がマニラに移り住むようになってからフィリピンで広めたというのだ。この説の支持者は、サンボアンガ方言を後の18世紀になってから派生した変種と位置づける。つまり、チャバカーノ諸方言一元論を唱えているわけである。2つ目は、18世紀のミンダナオ島に起源を求める説である。1718年、スペインは一度放棄したことがあるサンボアンガをふたたび占領した。この時期、この土地の先住民は不完全ながらもスペイン語を話すようになり、これがチャバカーノの始まりだという。こちらの説に賛同する専門家は、ミンダナオ島の方言とルソン島の方言はそれぞれ別の過程を経て確立したとする多元論で説明しようとする。

岡本が自分で調査して93%やら86%といった具体的な数字を挙げているとは思えないので、誰かの研究成果の孫引きなのではないかと思う。本書は2018年の作だが、上で言及したイスパニカ掲載の荻原の論考と比べてみて、その起源の探求について特に進んだ点は感じられない。

気になるのは、「最近は衰退の一途にあり」というくだり。一直線に衰退しているような書き方だが、カビテやテルナテの変種はともかく、サンボアンガのチャバカノ語についていえば話者数が数十万おり、当地の小学校の母語言語としてカリキュラムにも入っているところからすると、乱暴な言い方だと思われる。フィリピン語(タガログ語)は普及しており、もはやチャバカノ語モノリンガルの人は若い人にはいないが、サンボアンガでは、今後国から禁止されでもしない限り容易には話者は減っていかないと思う。

(おまけ)
参考までに、アキノ政権下で導入された、現行の「母語を基礎とした多言語教育(MTB-MLE)」の資料(英語)をいくつかリンクしておく。

https://www.philstar.com/headlines/2013/07/13/964902/deped-using-seven-more-dialects-under-k-12

ウンコな議論

最近読んだ本。

「ウンコな議論」>ハリー・G. フランクファート (2005=2016)

ウンコな議論 (ちくま学芸文庫)
ハリー・G. フランクファート
筑摩書房
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本の解説はウィキペディアでも読んでいただくことにして、俺は読後の連想について書きたい。

「ウンコな議論」は内容なんか無視して、とにかく適当にはぐらかして自分の有利な方向に議論を持って行くためのストラテジー。行間を読ませるための暗号文のようなものでもあるわけで、「何故ここでそれを言う?」のかわからなければ何を示唆したいのかわからない。

このように人間でも洞察力によって解釈がわかれてくるという微妙なニュアンスを運んでいるから、高度なメタファーよりもさらに難しく、おそらく今流行りのAIも相当苦戦するだろう。最後の砦かもしれない。

さて、大人の世界には「ウンコな議論」が盛りだくさんだが、人は無意識的に、これに対する耐性を「大人度」を計る指標として使っているのではないだろうか。もっとも、ここでいう「大人」は、若者が嫌う、つまらない大人だ。政治家や弁護士はもちろんだが、世渡りで出世を狙う人や、公務員にそういう人が多そうな気がする。

逆に、先進的な起業家やら研究好きな人やスポーツ選手や芸術家など、ことの本質に迫るのを生業としている人は、ひたすらこのウンコを避けて通ろうとするのではないかと思う。本質を無視した時間の無駄だから。

テルナテ島で話されていた言語はテルナテ語だったという当たり前の話

チャバカノ語のルーツをたどる研究メモ。

日本人でチャバカノ語を研究している人が歴史的にほぼ皆無な中で、鶴見良行は昭和の時期にサンボアンガやコタバト等を旅していて興味深い記述を残している。彼は著作がたくさんあるので、少しずつ読んでいくことにする。今回読んだのは、この本。

「辺境学ノート」鶴見良行(1986)めこん

辺境学ノート
辺境学ノート

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鶴見 良行
めこん
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P193-194に、ハルマヘラ(Halmahera)マルク州北部の島。テルナテ島は、この属島。
ウォーレスを含めて、当時の書物は、ハルマヘラをGiloloと記しているが、これはトベロ族の村名で、ジャイロロと発音する。かねてよりの疑問氷解。トベロ語は、マラヨ=インドネシア語系とはまったく異なるという。

との記述あり。「テルナテ」はカビテ州にある町の名前でもあるのだが、もともとはこのインドネシアのテルナテ島の王族がポルトガル人によって追い出され、カビテに住み着いたのが由来とされている。テルナテには「テルナテーニョ」というチャバカノ語が残っており(ただし絶滅しかかっているが)、サンボアンガのチャバカノ語と意思疎通できるぐらい類似しているため、元は共通の言語だったと推定されており、マニラやカビテからサンボアンガに伝わったのだろうと考えられている。

俺のかねてよりの疑問は、追い出されたテルナテの王族の母語は何だったのだろう、ということだったのだが、テルナテ島がハルマヘラ島の属島という情報を上記著作から得たことで自分で言語状況を検索してみる気になった。

英語版ウィキペディアを見ると、たしかにテルナテ語(テルナタ語)というのがあって、ティドーレ(tidore)語、トベロ語等と同様にマラヨ語系とは系統が違う西パプア系とある。ということは、やはりテルナテ語はタガログ語とは全然似ていないことになる。

もう少し調べてみるに、オランダの学者Van Der Veenは北ハルマヘラ諸語(North Halmaheran)について、非オーストロネシア(=NAN)諸語の中でも、異民族との接触のためかテルナテに近づく程SOVからSVOに変る傾向が顕著と述べている。語順が変わっていくという話は、それはそれで面白い(たとえばフィリピン諸語と現代マレー語は同じアウストロネシア語族なのに語順が違う)。

最後に、テルナテ島のビデオがyoutubeで観られるのを見つけたのでそれを紹介して終わりにしたい。テルナテ島は大航海時代には地理的にとても重要だった場所なので、観光資源はやはり遺跡。下は、テルナテ王宮を紹介したビデオ↓

また、テルナテ島には北マルク・ムハマディア大学という大学があるそうで、そこには日本語学習者もいるんだとか。用事はないが、親近感がわいたので、いつか行ってみたい。
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201210/article_4.html

ミンダナオ戒厳令延長が承認された件

ロイターによれば、今年末までだったミンダナオ島全域に対する戒厳令の一年間の延長がフィリピン議会によって承認された。

フィリピン議会、ミンダナオ島の戒厳令延長を承認 来年末まで」ロイター通信2017年12月13日付

名目はISに忠誠を誓うイスラム過激派グループの掃討だが、ミンダナオには共産ゲリラ”NPA(新人民軍)”の勢力もあり、こちらの鎮圧にも力が入れられている。NPAは長らく前に非合法化されたフィリピン共産党(CPP)の軍事部門で、歴史は古い。最近ではフィリピン政府とCPPが2016年に停戦合意を結び、ようやく和平実現かと思われたものの、翌2017年2月にはドゥテルテ率いるフィリピン政府が停戦を破棄し、掃討作戦に転じている。もしかしたらドゥテルテ個人としては共産党勢力からの選挙協力も受けており平和的に解決したかったのかもしれないが、「テロ組織」という点ではNPAはアブサヤフやマウテグループ等のIS系勢力と同列にくくってしまう方が、国際社会からの協力も取り付けやすい等々あるのかもしれない。とにかく現政権の重点課題は治安の向上で、今後もこの方向は続くとみてよさそうだ。

↑大宅壮一ノンフィクション賞受賞作家、野村進のデビュー作。おもしろかったです。

企業通貨と地域通貨

ようやく読んだ本の話。3年前にブラジルを旅行した後にこのブログに書いた「パルマス銀行の訪問メモ」の続き。

連帯経済についての論文などでも取り上げられているフォルタレザのパルマス銀行をアポなしで訪れてみた際、そこにボランティア滞在していたフランス人学生
に英語で案内してもらったのだが、その学生から聞いたのがベルナルド ・リエターという名前だった。貧困地域での地域通貨を使った村おこしというのは面白そうなアイディアだと思ったのだが、本書を読んでみるとそんな次元ではなかった。企業通貨と地域通貨が一緒に解説されているというのが興味深かった。

マネー崩壊―新しいコミュニティ通貨の誕生
ベルナルド リエター
日本経済評論社
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「マネー崩壊―新しいコミュニティ通貨の誕生」ベルナルド リエター(2000)
本書の内容はベルギーの中央銀行でマクロ経済の仕事をしていた、という著者の実績がなければ提案に説得力がなさそうではあるが、それはさておき、最近話題のビットコインや、マイレージ、アマゾン・楽天などのポイントなどがすべて通貨として解説されていて、改めて「お金」とは何かを考えるきっかけになる本。

特に、減価するお金という面では有効期限内に使わないとなくなってしまうマイレージやポイント(企業通貨)が地域通貨と同列に扱える、という点を示唆していて非常に興味深い。規模が大きくなれば、不況対策としての側面を持ちうるという。

一方、ビットコインなどの国家が独占しない通貨は、従来は規制の対象となり国家によって禁止されてしまう傾向が非常に強かった。本書は20世紀の本なのでもちろんビットコインには触れていないが、オンラインで国境を超えて流通することにより誰が所有している管理するのが困難になり、またひとつの国家がこれを禁止すると他の国に出遅れることになり国としてかえってデメリットという状況を生み出したビットコインは、日本のような国でさえ政府公認となっている。これまでさんざん地域通貨が国家によってつぶされてきたことを書いている本書を読みながら、今の時代はかつてなく新しいことが始まっているのだ、という認識を新たにできた。

最後に一点、俺が読んでてよく理解できなかったことをメモしておきたい。お金は、同じ額面でも回転数(流通スピード)によって働きが違うというのはわかるが、ではそれをどうやって比較できるのだろうか。回転しなければ経済は回らないわけなので「お金の働き」を把握するのは非常に大事。たとえば地域通貨の方が国家通貨より回転が速い傾向があるとするなら、それをどうやって(数字に?)表せるのだろうか。

「英語の帝国」とフィリピンと日本

フィリピンでは今や家庭で自分の子どもに英語で話しかけ、わざとタガログ語を教えない教育が中流以上で盛んだが、これはなにもフィリピンだけの話でなく、歴史的にスコットランドやウェールズでも起きていた、という。子どもの将来のために、庶民が自発的に伝統的な母語を捨てるいわゆる「自殺」は、英語の帝国の一部になる最終段階だということが、下の本によく書いてある。

「英語の帝国 ある島国の言語の1500年史」平田 雅博(2016)

英語の帝国 ある島国の言語の1500年史 (講談社選書メチエ)
平田 雅博
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言語の絶滅はいつの時代もゆっくり起きるもので、まずその言語だけを話す単一話者がいなくなり、(オランダ語などのように)他の言語との2言語話者となる時期があり、そしてそのうちに(アイヌ語のように)その言語を母語とする人がいなくなる。交代する理由はいつでも、より強い言語の方が有利だから。征服の結果としてある言語が禁じられることもあれば、恥ずかしくなって自主的に使わなくなる場合もあるだろうが、結局は強い言語に話者は流れている。上の本で英語の帝国のピークも既に去っている、という説も紹介されているように、英語もいつかはより強い言語に席を譲る日が来るかもしれない。それはさておき、、

フィリピンでの短期英語留学やオンライン英会話が増え始めた10年ぐらい前に、俺が批判的だった理由は「フィリピン人が自慢にしている英語は、しょせんアメリカの真似をした英語であって、フィリピン人が誇れるような文化ではない」ということだった。旧植民地のねじれたプライドみたいなもので、健全ではない、と思った。

しかしながら、上記の本を読む中でよくよく考えてみれば、帝国の言語=英語を学ぶという時点で日本人も十分ねじれたプライドを持っており、同類でしかなかった(本の中では旧植民地であるフィリピンと、日本では別のグループとして分類されているが)。健全とか健全でないとか、そんなものはないのだな、というのが読後の自分なりの結論となった。 

同様に、日本で子供に(自分が話せもしない)英語を習わせる風潮についても、歴史的にどこででも行われてきたわけであってとりわけ日本人の頭がおかしいわけではなく、さらには英語を学んだ結果、新しい世代が「美しい日本語」を話せなくなったとしても、それは次のレベルに進んでいっただけのこと。

フィリピンも日本も段階が違うだけで同じようなもんだ、と思えるようになったのが一番の収穫だった。

フィリピノ語のしくみ

諸言語で出ているこのシリーズは、コンセプトが「読める文法入門」。暗記しなくても先に進んでいけるので、どんな言語なのかさっと知りたい人向けです。

「フィリピノ語のしくみ」下平 英輝 (2009)

フィリピノ語のしくみ
フィリピノ語のしくみ

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下平 英輝
白水社
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一応は読んでおいて、自分に勘違いがないかを確認しておきました。

個人的には、セブアノ語ほかのフィリピン諸言語とか、教材がないような言語についてこの種の本を出してほしいと思います。現状では、あまり利用できるリソースがない中で、ウィキペディアがあるのがせめてもの救いです。