ホーチミン市の全小学校で宿題が禁止に

ベトナムは教育水準が異様に向上しているようで、たとえばOECDの15歳以下の学力を測ったPISAというテストでは、2012年(2016年現在で最新)にドイツと並みだった。

そんなベトナムの、ホーチミン市内では来年度から宿題が禁止されるという。
http://www.viet-jo.com/news/social/160914051410.html

もともと宿題の功罪には両論あって、学力への効果という面では「親や教師や自己満足に過ぎないんじゃないか?」という声が高まりつつある。数年前には、ビルゲイツからの投資を受けて大きく成長した教育オンライン・プラットフォーム「カーンアカデミー」のサルマンカーンも、著書「世界はひとつの教室」で無駄だといっている。生徒全員に一律に同じ宿題を課す、ということも問題。

「世界はひとつの教室」サルマン・カーン(2013)

世界はひとつの教室 「学び×テクノロジー」が起こすイノベーション
サルマン・カーン
ダイヤモンド社
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一方で、家庭での学習習慣を作るためには宿題があった方が良い、と考える親は今でも多いし、宿題がなかったら家では勉強なんかしない、という子供や学生も多いだろう。

今回のホーチミン市の社会実験で、実際にどんな効果が出るのか、楽しみだ。

わたしの外国語学習法

いろんな外国語学習法の本を読んできたけど、これが一番面白かった気がする。

「わたしの外国語学習法」 (ちくま学芸文庫) 文庫 – 2000/3

わたしの外国語学習法 (ちくま学芸文庫)
ロンブ カトー
筑摩書房
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著者は、ハンガリーを出ずにロシア語を皮切りに数々の言語を習得していった。その方法論は、途上国の人が実践しているものだ。とにかく、観光客をつかまえて練習する。これが基本。

日本でも最近は外国人観光客がかなり増えているので、大都市に住んでいる人なら実践するチャンスがかなりある。ただ、現代日本人の若者一般に言えるのは、知らない人と話さないということ。隣に人がいても平気で遠くの友人とチャットをしていたりする。これは外国語学習にとっては良くない兆候。

思うに、途上国を旅行していればかなりそういう態度は改まってくるので、旅に出るのはそういう意味でもいい投資だと思う。

俺も先日、東京で電車に乗っているときにたまたまタイ人が隣にいたので話しかけてみて、とっても良い練習になった。そのとき気付いたことが2つある。

ひとつは、自分から話しかけるためにはそれなりに基礎ができているという自信がなければいけない。でないと、会話が続かない。

もうひとつは、きっかけがいる。俺の場合はタイ語の単語帳を持って勉強していて、それを隣のタイ人も見たから話しかけることにしたのだった。こちらは一人、相手は2人とかいうのが良いだろう。通りで道を尋ねるときもそうだが、相手が一人だと警戒されるかもしれない。

ロンブ・カトーも、やはりそういうシチュエーションで話しかけていたのではなかろうか。そんな気がした。

ところで、本書ではもうひとつのユニークな学習法が中心にあるのだが、それが外国語学習の最初から小説を読もうとする、というもの。「ダーリンは外国人」のトニーなんかはこのやり方はうまくいかんだろう、と言っているが、俺は一理あると考えている。言語に潜む法則性を暴いてやろうという知的探求心を伴う学習は、教科書に書かれている文法の丸暗記なんかよりよっぽど記憶にひっかかると思うからだ。

試しに、教科書が出てないような言語を勉強してみると良い。少数言語や、いわゆる方言というようなタイプの言葉とかだ。俺はフィリピンでチャバカノ語やセブアノ語をやってみたけど、自分で教科書を作ってやるぐらいの勢いでルール解明に全力を挙げていたときはたしかに楽しかった。チャバカノ語にいたっては、英語の論文とかも読んでいたものだ。

そんなわけで、参考書なんか使わないある意味原始的なやり方が、実は効率性という面では大差ないということは十分にありうると思う。問題は、そういった勉強法を実践できる人はかなり限られているということで、「教えられる」ことに慣れているような人たちにはちょっと難しいんだろう。学習の主語は自分である。そして大人になってから言語を学ぶということは、自分が主体にならなければ無理だと俺は思う。「教育される」のではなく、「学習する」べき。

自作タガログ語youtubeレッスン(1~7)を作りました。

2年ぐらいオンラインでタガログ語を教えてみて、今になってもライバルが現れないという悲しい現実(笑)。

ためしに「オンライン タガログ語 日本人講師」でググったら、俺しか出てきませんでした。

ということは、他の言語でやっているようにyoutubeでレッスンビデオを公開するなんてのも俺しかできないのでは、と思ったけど、さすがにそれは先達がいました。日本で育つフィリピン系の人はいっぱいいますからね。

さて、では俺しかできないこと、ということで文法のレッスンをすることにしました。

やり方は、ペンタブレットを使ったシンプルなもの。中国メーカーのHUIONというやつが送料込みで3200円だったのでそれを使ってます。今のところ、好調です。

 

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フィリピンの教育改革についてのまとめ(2015年7月)

ここ数年注目しているフィリピンの教育改革。JICAプロジェクトでも専門家チームが入ってなんやらやっているようですが、結局のところ当のフィリピン政府も含めて誰もこれからどうなるかがわかっていない、という状況のようです。さすがフィリピン。

とりあえずここまでの道筋だけでもきちんとフォローしよう、ということでネット上で日本語だけでささっと調べた結果こうなりました。

1. フィリピンの教育史
まず、改革までのフィリピンの教育史をみてみましょう。東大の先生の論文ですが、出た年が書いてない。参考文献を見ている限り、本論文は1978年頃のものかと思われる。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyoiku1932/46/3/46_3_216/_pdf

それから時代は下り、現在のフィリピンの教育行政。

日本の外務省のレポート。2005年頃?統計的なデータあり。

クリックしてsect05_01_03.pdfにアクセス

ポイントと思われるのは、
「三焦点化(trifocalization)」の方針により、基礎教育を教育省、高等教育を高等教育委員会、職業技術訓練を技術教育技能開発庁がそれぞれ所管している。
現地名はそれぞれ、デッペドDepartment of Education (DepPED), チェドCommission on Higher Education (CHED), テスダTechnical Education and Skills Development Authority (TESDA)です。

2. 教育改革の概要
福井大学のレポートでは、

クリックしてAA12470517-06-022.pdfにアクセス

改革の法的根拠「拡大・強化された(Enhanced)2013年基礎教育法」
改革内容:
1) 教育・学習言語の変更とカリキュラム改革とからなる教育方法の転換
2) これまで小・中学校の10年間であった義務教育の期間を高等学校までを含めた12年間に延長するということ

とある。1) については、いつも揺れている英語か母語かの論争がまたぶり返しているという印象。この点、日本の詰め込み教育vsゆとり教育に似ている気がする。
で、西洋(EUとかUNESCOとか)などで支持されている「母語をベースとした多言語による教育・学習(MTB-MLE、Mother Tongue Based Multi Lingual Education)」が導入されることになったという次第。この「母語」というのはしかし8大言語プラスFSL(フィリピン手話)だけではなかったか。たくさんある諸少数言語をフォローし尽くすというのは土台無理な話なので、線引きがあるのは経済的に仕方ないと思われる。

次に、カリキュラム改革は、内容は見ていないがおそらく「成果基準の教育法(Output based teaching)」への転換と思う。他に、マグサイサイ賞受賞のベルニド夫妻のメソッドにも影響を受けているとどこかで読んだような気もするが、実際はどうなんでしょうか。

そして2)、K-12(K to twelve)と言われている制度改革。言うまでもなくこれが一番影響が大きい。

3. 教育改革の背景
で、そもそもどうして教育改革が必要だったのかを調べてみると、

2011年6月時点のアジ研のレポートに従来の教育制度の問題点が3つあげられている。

クリックして1106_suzuki.pdfにアクセス

それぞれ、

基礎学力の低下
就業の問題
海外との制度の違いがもたらす不利益ともいうべきか、扱いの差

だという。管見では、それに加えて2015年末にAEC(東南アジア経済共同体)が発効予定なのもあると思う。ここ数年で、いろいろな基準をASEAN各国でそろえている。

アジ研のレポートに戻ると、この教育改革を実施するにあたり問題になりうることがあげられている。誰もが素朴に思うことだ。すなわち、


「中等教育を2年間上積みすれば、それだけ必要となる教室・教師・教科書が増えるからだ。それに、学校に通学しつづける子供達の学力は向上するかもしれないが、そうでない子供達にとっては何も変わらず、学力の格差がさらに広がる可能性も考えられる。」

これまで拡張できなかった理由もこれなんだから、誰でも気づいているはず。今の質を維持するだけでも、2年分の教育予算を増やさないといけないし、そもそも新制度開始にあたっての初期投資としてカリキュラム作り、教師研修のほかに教室の設置が必要になる。だいたいこういう改革の被害者になるのは地方の低所得階層なわけで、特にミンダナオのARMM(イスラム自治区)らへんにテコ入れしないとどうしようもなくなるのは目に見えている。

4. 監督官庁の乗り入れ
2年間拡張した分の課程は「シニアハイ」と呼ばれるようだが、このカリキュラムには普通科だけでなく、職業訓練的な内容を持った各種の実学科(TEC-VOCトラック)が予定されている。しかし初等・中等教育を所管する教育省にはノウハウがないので、職業訓練の監督機関であるTESDAが乗り入れてくるので、「三焦点化」が崩れる格好になる。

クリックして042-05.pdfにアクセス

さらにいうと、私学ではシニアハイは大学が降りてくるような形で拡張するようなので、大学の先生がとりあえず2年間はシニアハイの学生を教える、ということにもなりえる。その場合、教員免許はどうなるのか。

そもそも、シニアハイの教員免許は誰が持っているのだろう。中等教育の免許と同じだろうが、追加の研修とかしなくていいのだろうか。疑問はたくさんあるが、少なくとも日本語では、現時点でこれらの答えになるような文書は出てなさそうだ。

以上、2015年7月時点でのまとめでした。

(おまけ)
ところで今回の教育改革には含まれていないが、興味深い視点がある。むしろミンダナオ和平プロセスに関連するものとして、イスラムのマドゥラサ教育への視点も持っておきたい。
www2.jiia.or.jp/pdf/asia_centre/h13_isram/tatsumi.pdf

(おまけ2)フィリピン政府による新制度説明のプレゼン(だいたい英語)。

日本でオルタナティブ教育改革が進みそう

10年ほど前、教育改革にはオルタナティブ教育を使わないといけない!と私は思い大学院に入ったわけですが、入った研究室を間違えたらしく残念ながら早々にその道の研究を断念することになりました。しかし、そのとき以来ずっと緩くウォッチしています。

ここにきて2つの動きがあり、戦後最大の改革になるのでは?という気配がしてきています。

ひとつは、夜間中学の地方への設置。どうやらこれには法律の改正は必要ないようでひとえに国会議員の関心具合が文科省を動かしているだけのようです。文科省としては手続きとして調査を終了し、あとは増やすだけじゃないでしょうか。っていうか、増やす分のお金は地方自治体が負担するんですよね、きっと。といっても、校舎は昼のものと同じで二部制な感じにするだけですので、実質は職員の配置だけです。全都道府県とはいかなくとも、おそらく近いうちにそれなりに進むでしょう。

もうひとつは、フリースクールなどを認める案だそう。詳細は知らないが、朝日新聞の記事によれば法案をまとめた、という。

「学校外で義務教育、容認案 フリースクールや家庭学習 超党派、国会提出めざす」
http://www.asahi.com/articles/DA3S11763009.html

これについては通るかどうかすらわからないし、また形もどんどん変わっていくかもしれない。あまり期待はできませんが、こういう動き自体が実に10年近くぶりだったので、つい注目してしまいます。

今後の動きが気になります。

エンパワメント

前回の投稿で、勉強がなかなか順調に進んでいることを書いた。調子が良いということは自信につながる。自信があれば、当然のことながら良いパフォーマンスにつながり、そして良いパフォーマンスはさらなる自信につながる。

この好循環が好ましいのは言うまでもなく、何事も目標を立てて行動するときには、そうなるのが理想的だ。

にもかかわらず、実際の世界ではあの手この手を使って世の中が私たちの自信をなくそうと画策しているように思われるときがある。今日はそんな日だった。

不本意ながらエクアドルで歯医者に通うことになって、今日で通院4回目。当地での病院における経験については別途思うことも多々あるのだが、悪口のオンパレードになりそうなので控えておきたい。このエントリで伝えたいのは、そういうことではないのです。

この間のDELE対策で、自分のスペイン語力に自信がついてきた矢先、案の定、医者との会話は普通より難易度が高く、満足いくパフォーマンスを発揮できなかった。相手の言っていることはそれなりにわかるのだが、瞬時に反応できないとか、自分の返事は文法が間違っていたとか、反省点が多々あった。

あげくの果てには、医者と放射線技師の会話の中で、その医者が私のことを「スペイン語がちょっとわかる」という評価を下しているのを聞いた時には正直ヘコんだ。それにしても、事実はともかくとしても、なんで俺の前でそういう言い方をするんだろうか、この人は。

それでなくても、国を問わず病院というところは私たちを無力に感じさせる仕掛けが満点のところだ。まがりなりにも社会人として生きている私たちを、単なる「患者」としてしか扱わない。医者は患者がストレスを感じないように(麻酔などで)気を使っているのは理解できるのだが、それって根本的には別に人でなくてもかまわない「生物」に対して処置をしているだけではないか、と思えてしまう。治療を受けながら、この扱いは動物病院の犬と同じじゃないか、という気がした。

よく考えてみれば、一日中そんな仕事をしている人だからこそ、上述のような会話を患者の前で平気でできたんだと思う。俺に言わせれば、そんな環境では俺のスペイン語がパフォーマンスを発揮できるわけがない。話し相手がどんな態度で臨むかによって、コミュニケーションの質が変わるのは当然である。

そういう面からいうと、この医者が患者との対人関係においてやっていることは、エンパワメントの反対のディスエンパワメントである。接客業なんだから、治療の腕とはまた別の次元である対人関係でもぜひがんばってもらいたい、と思った。

そして、これを反面教師に、音楽やら語学やらを教えている俺は生徒をエンパワメントするために気を使っていこう、と思いを新たにしたのでした。

反転授業と早稲田大学

数日前から、向後千春教授の授業風景を紹介した早稲田大のPRビデオが公開されている。

氏によれば、反転授業は氏の提唱する「ブレンド型授業」の一形態にすぎないのだという。

さて早稲田大学ではこの他に、CCDL (Cross-Cultural Distance Learning)というシステムを授業に導入しようとしているよう。
具体的には、ようは海外の提携校とスカイプかなんかを使って英語で話す、というもの。下の動画は先生向けに導入を勧めるPRビデオ。

おそらくこういう動きは既に世界中の大学であって、早稲田も流れに乗り遅れないように、という発想なのだと思う。流行りなので、ある試みはうまくいき、その他はうまくいかないのだと思う。まぁ試行錯誤はいいことでしょう。

こういう動きを知った俺の感想としては、必ずしも大学でなくてもできることが増えてきている中で、「大学でやる」意味をどう確保するか、というのが重要な気がする。既に、学科によっては大学で学ぶメリットが学位以外になさそうなものも増えている(コンピュータとか言語学とか)。

もちろん早稲田に限らず、さらに言えば大学にかぎらず、学校の存在意義がだんだん薄れていくという時代の流れ。俺としては全部オプショナルな世の中になってほしい。

ボホールのベルニド夫妻とDynamic Learning Program (DLP)

このブログ、フィリピンとか教育とかをフォーカスしているわりに、そういえばここで書いてなかった。DLPのこと。

Dynamic Learning Program (DLP)は、ボホールのベルニド夫妻が自身で経営することになったハイスクールのために開発した100%フィリピン製の教育メソッド。この功績により、ベルニド夫妻は2010年のマグサイサイ賞を受賞しています。大人数のクラスで効果を出せて、かつ普及が低コストで可能ということから、政府には注目されているようです。

このメソッドですが、いつの間にか宣伝ビデオができてました、ようやく観ました。
公文式みたいなやり方かと想像していたけど、ちょっと違いました。興味深いです!

私もいつか教育で成果を出したい、と思いますが、彼らでさえこれを3年かけて開発したそうです。やはり教育は、息長く関わっていかないといけないんですね。

キューバの教育

エクアドルで、というかキトではよくキューバ人に遭う。たぶん居住外国人ではコロンビア人、中国人についで多いのではないか。とはいえそれもここ10年以内の話ということなので、移民に関心のある俺としては調べてみたくもなる。が、今日は別の話。

年末に読んだ本。

「世界がキューバの教育に注目するわけ」吉田太郎(2008)築地書館

世界がキューバの高学力に注目するわけ
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たしかに知り合いのキューバ人(複数)を見ていると、学歴は高卒とかでも常識があるような気がする。医療だけでなく、キューバの方が教育がいい、というのはわかるような気がする。識字率が高いというのは見たことあったが、教育制度とかの情報に触れるのは初めてだった。

上記の本を読んでいるとなんかいろいろ書いてあるが、ようするに革命後の早い時期に人海戦術で識字率を上げることに成功したこと、それから2000年代になって少人数学級を導入したこと、の二点が大きいように思われる。あとはアメリカという脅威がある中で一生懸命に人材が育っていったということだろうが、これは韓国、台湾はそれをやったのかもしれないが、現代の世の中では他の国はマネできそうにない。

キューバの教育について、もう少し情報がほしいな、と思ってみていたところ、比較的新しい2013年9月にこんなレポートがネットに出ていた。
http://estudio-cuba.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-9168.html

内容についてバランスをとろうとしているようで、そういう点でも良かった。

さて、しかしそもそもキューバという国とその生活についてよくわからない。旅行したこともないのだから当然か。
途上国が抱える人材流出の問題については、キューバでは規制しながらなんとか対処してきたそう。

ニューズウィーク日本版の記事によれば、

「キューバは長年、キューバ人入国者には自動的に居住権を与えるアメリカの法律を渡航規制の口実に使ってきた。この措置が最初に導入された1961年当時は、キューバで国内最高レベルの教育を受けた専門職の多くがフィデル・カストロ前国家評議会議長の革命を逃れ、マイアミに脱出した。」
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/01/post-2807_1.php

このアメリカの法律、異様だ。アメリカの中南米をはじめとする各国への過干渉って、果てしない。。

キューバも、人材流出と外貨送金、それから失業対策という3点の間で微妙な舵取りが必要なのは、他の途上国と同様のようだ。しかしながら、いまや数少ない共産主義国としては、唯一か。

ちなみにキューバに日本人が行くと兌換ペソというのを使うそうですが、人民ペソも入手できれば使えるよう。
http://keselasela.web.fc2.com/info/cuba.html

ペソについては
「旅行者が主に使う兌換ペソ(cuc。1cuc=1US$)と、キューバ人が通常使う人民ペソ(cup。24cup=1cuc)だ。 人民ペソは「クバーノ」と呼ばれ、MONEDA NACIONAL(国の通貨)の頭文字を取ってMNと表記される。」

噂では、キューバ人ですら、連続一年以上出国していたら帰国時に兌換ペソを使わなくてはいけないらしいのだが、これはまだネットで裏付けとなる情報が手に入っていない。もうちょっとがんばって調べたいところ。

(後日補足:キューバ人だろうが外国人だろうが、購入する物によってペソの種類が違うそうです。聞いた話をまとめると、大雑把には日用品は人民ペソ、嗜好品は兌換ペソ、というような感じだと想像します)

最後に、上述書によれば、”Yo si puedo”という識字教材がメキシコを含む各国で使われているとのこと。これはこれで気になるな。いつかの機会に調べてみよう。