16,17世紀サンボアンガの歴史

サンボアンガの歴史。英語で、Tony Cabrestanteの著名で長文の解説がある。
http://www.zamboanga.com/html/history_zamboanga.htm

まず、原住民は陸続きでやってきたネグリートとする。フィリピン諸島で共通。今の地形を見る限り、当時はパラワンとスール―諸島がそれぞれボルネオとくっついていたのだろう。

次にサンボアンガへ渡ってきたのはスバノン族。その後、バジャウ、サマル(この名前はフィリピンでよくある民族名だが、それぞれ別々と考えるべきだろう)、ヤカン、タウスグ。このうち、最後のタウスグが一番強かったようだが、スペイン人が来た時点ではスバノン族もかなりいたようだ。

ちなみにサンボアンガという名前はサマルやバジャウが使っていた”sabuan”という、ビンタ(ボート)を陸付けするための柱がたくさんあるところ、という意味の”samboangan”に由来するという。その前はスバノンは「花のあるところ」という意味の”Jambangan”で呼んでいたという。

さて、1595年にはじめてスペイン人がサンボアンガに基地を作ったとき、今のフォート・ピラールのあるところではなく、カルデラ湾(Caldera bay)の”Barrio Recodo”という場所が拠点だった。今はイワシの缶詰工場がたくさんあるところ(地図+航空写真を参照)で、アヤラの手前だ。この地区は漁民ばかりで、見た感じ貧しいムスリムがたくさんいるところで近づきがたい。

当時作られた基地は維持する資金がマニラになかったのですぐに放棄され、その後40年近くサンボアンガからスペイン人はいなくなってしまった。戻ってきたのは1634年、今度は今の旧市街のところを制圧し、翌年にはフォート・ピラールの原型となる砦を作った(その後、また放棄して何十年も経って戻ってきた後に再建したのがフォート・ピラール)。

そんなわけで、フォート・ピラールができる前にはチャバカノ語が使われるための要素は確認できない。

当時の記述は、日本語訳されているモルガの古文書「大航海時代叢書〈第I期 7〉フィリピン諸島誌」にもたくさん載っている。古書にしては珍しく、送料込みで1000円以下で手に入るのでオススメです。

大航海時代叢書〈第I期 7〉フィリピン諸島誌
モルガ
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最後に、サンボアンガの歴史については、以下のブログでも文献紹介がある。非常に興味深い。
https://spotswings.wordpress.com/notes-on-zamboanga-from-the-founding-of-la-caldera-in-1595-to-the-cholera-of-1916/
https://spotswings.wordpress.com/2014/01/27/zamboangabiblio/

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