100年前のサンボアンガの光景 ~フィリピンの一日本人から~

フィリピン関係の本は一通り読むようにしているのだが、日本語で書かれているものは戦時中や戦後が主で、戦前の描写が細かいのは珍しい。

「フィリピンの一日本人から」大沢清(1978)

フィリピンの一日本人から (1978年)
大沢 清
新潮社
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この本、古書扱いだが安い。著者の大沢清は、ちょうど100年前にサンボアンガへ渡り、向かいのバシランでしばらく働いた後、マニラへ。そこで実業家となる。戦前のサンボアンガの記述がある本というのはかなり珍しい。

ついでに、息子の大沢一郎はマニラのデラサール大を卒業し、現在は技能実習生を日本に送り込む人材派遣会社をやっていたり、日比親善同友会の会長もしている。マニラの日本人社会では重鎮といったところか。それにしても俺は今まで会う機会がないのだが。。

さて、結局、貧しい移民と彼、大沢清との違いは資本とコネ。資本は大百姓の家に生まれ、渡航費やマニラでの独立開業の資金も家族に頼っている。コネについては(戦前の)名門中学時代に手に入れた、またはその名門中学出身という自負が態度を大きくさせたのか、とにかく威勢が良く社交力に長け、フィリピンに渡ってから日本人をはじめとする実業家やらなんやらとのパイプを作っていったようだ。

しかし彼を大物たらしめたのは単なる社交力というよりは、やはり人徳なのではないかと思う。彼が書く通り、フィリピン人に慕われていなかったら、生きて戦後を迎えることはなかったろう。英語ができたから、というよりは人を見る目を持っていたということと、相手を尊敬することを知っているという2点が同時代の他の人々と違ったところなのだろう。

日本軍が来る前から民間人としてフィリピンに長年住んでいた人の手記というのはあまり読む機会がないが、読後の感想としてフィリピン人やフィリピン社会に対する彼の感覚は、現代を生きる私のそれとそう変わりないように思える。相手の尊厳を守るとか、商売をするにあたってずる賢いゼロサムゲームでなくWin-winの関係を作るとか、そういう当たり前のことを言っている。かたや、彼が描写する日本軍は、それは酷い。そしてその内容は、外国人が描写しているものと同じなのだ。

まぁ、彼にしても何か後ろめたいことをしたかもしれないが、だいたい本を書く人というのは自分にとってマイナスになる要素は極力書かないもの。逆に、周りの人が悪いことをしていたら非難するものだ。そういう意味で、書かれていることから自分なりに割引いてみて、当時の様子を想像していくほかないと思う。そのためにはいろんな資料にあたること。次は何を読もうかなぁ。

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