わたしの外国語学習法

いろんな外国語学習法の本を読んできたけど、これが一番面白かった気がする。

「わたしの外国語学習法」 (ちくま学芸文庫) 文庫 – 2000/3

わたしの外国語学習法 (ちくま学芸文庫)
ロンブ カトー
筑摩書房
売り上げランキング: 31,742

著者は、ハンガリーを出ずにロシア語を皮切りに数々の言語を習得していった。その方法論は、途上国の人が実践しているものだ。とにかく、観光客をつかまえて練習する。これが基本。

日本でも最近は外国人観光客がかなり増えているので、大都市に住んでいる人なら実践するチャンスがかなりある。ただ、現代日本人の若者一般に言えるのは、知らない人と話さないということ。隣に人がいても平気で遠くの友人とチャットをしていたりする。これは外国語学習にとっては良くない兆候。

思うに、途上国を旅行していればかなりそういう態度は改まってくるので、旅に出るのはそういう意味でもいい投資だと思う。

俺も先日、東京で電車に乗っているときにたまたまタイ人が隣にいたので話しかけてみて、とっても良い練習になった。そのとき気付いたことが2つある。

ひとつは、自分から話しかけるためにはそれなりに基礎ができているという自信がなければいけない。でないと、会話が続かない。

もうひとつは、きっかけがいる。俺の場合はタイ語の単語帳を持って勉強していて、それを隣のタイ人も見たから話しかけることにしたのだった。こちらは一人、相手は2人とかいうのが良いだろう。通りで道を尋ねるときもそうだが、相手が一人だと警戒されるかもしれない。

ロンブ・カトーも、やはりそういうシチュエーションで話しかけていたのではなかろうか。そんな気がした。

ところで、本書ではもうひとつのユニークな学習法が中心にあるのだが、それが外国語学習の最初から小説を読もうとする、というもの。「ダーリンは外国人」のトニーなんかはこのやり方はうまくいかんだろう、と言っているが、俺は一理あると考えている。言語に潜む法則性を暴いてやろうという知的探求心を伴う学習は、教科書に書かれている文法の丸暗記なんかよりよっぽど記憶にひっかかると思うからだ。

試しに、教科書が出てないような言語を勉強してみると良い。少数言語や、いわゆる方言というようなタイプの言葉とかだ。俺はフィリピンでチャバカノ語やセブアノ語をやってみたけど、自分で教科書を作ってやるぐらいの勢いでルール解明に全力を挙げていたときはたしかに楽しかった。チャバカノ語にいたっては、英語の論文とかも読んでいたものだ。

そんなわけで、参考書なんか使わないある意味原始的なやり方が、実は効率性という面では大差ないということは十分にありうると思う。問題は、そういった勉強法を実践できる人はかなり限られているということで、「教えられる」ことに慣れているような人たちにはちょっと難しいんだろう。学習の主語は自分である。そして大人になってから言語を学ぶということは、自分が主体にならなければ無理だと俺は思う。「教育される」のではなく、「学習する」べき。

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