独学用:博多弁の文法

ふと思い出して、10年前に(別の)ブログ上に作った博多弁の文法をまとめてみました。11ページぐらいになりました。

誰でもダウンロードできるように、ここにリンクを貼っておきます(ダウンロードはこちら)。ま、見たい人の数なんて一ケタ代だと思いますが。

一応ことわっておくと、ここに記した博多弁は戦後の高度成長期世代が話しているようなもので、ベビーブーマー世代よりは若干新しいものです。また、「~ばい」等の言い方は、ちょっとわざとらしい響きを私が感じるため、基礎的な表現じゃないと判断して載せていません。ようするに、チョイスは私の独断です。

さて、博多弁に限らず西日本の方言は、「じゃ」のかわりに「や」を使ったり、「いる」のかわりに「おる」を使ったりと共通点があって、さかのぼれば京都の影響なんでしょう。
東日本はもともともそうではなかったのか、それとも鎌倉幕府らへん以降にわざと違う話し方が確立されたのか、ちょっと興味があるところ。あと、博多弁に関していえば、京都が日本の中心になる前の福岡地方の言葉がどんなだったのか、というのも気になりますが、さすがに何の資料もないんでしょうね。

私は昔の日本語についての知識が全然ないのですべて素人の想像ですが、(現在の)博多弁などの地方方言から昔の日本語の形を組み立ててみるという試みは、ちょっと面白いです。それが全然科学的じゃない手法だということはわかってますよ、念のため。

言語のルーツ(とチャバカノ語)

クレオール関係の本を検索しているうちにたどり着いた本。本題はタイトルの通り。

「言語のルーツ」デレク・ビッカートン(1981=1985)

言語のルーツ
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日本語訳がわけわからんときがありますが、それでも後半あたりからは面白くなってきます。

理論言語学の人たちからすればこの本は古典の仲間に入るのでしょうが、クレオールの研究をもとにチョムスキーとは別のアプローチで「言語の生物プログラム仮説」を説明していくさまは、興味深いです(といって、私はチョムスキーを直接読んだことはないのですが)。

wikipediaの「ビッカートン」紹介によれば、ビッカートンはその後、生物言語学に進んでいき、チョムスキーとかと同じ方面で研究を続けているようです。

私からすると、生物言語学とか理論言語学の研究をするんなら、最初からフィールドになんか行かなくてよかったんじゃないか、と思わなくもないです。ビッカートンにとっては、若気の至りだったんでしょうかね。

さて、ここからは脱線していきますが、本書の中に出てくるクレオールの定義によれば、俺がやっているチャバカノ語はクレオールに含まれないかもしれません。チャバカノ語は、下の2点を真とすれば、典型的なクレオールではありません。

理由その一、そもそもポルトガル系クレオールがその祖先にある可能性。
理由その二、文法の骨格が明らかにフィリピン諸語のものである点。

上記から、ようするにいつ頃にどこで生まれたかも確定できないので、クレオール化にどの程度の時間がかかったのかもわかりません。はっきりしているのは、現在のインドネシアの北マルク(Maluku)州テルナテ島と同名のテルナテ町がフィリピンのカビテ州にあり、そこにチャバカノ語の拠点のひとつがあること。この町の歴史については、まずウィキペディアの「チャバカノ語」に、
「カヴィテ州周辺のチャバカノ語は、モルッカ諸島(現在のインドネシア)のテルナテ島にいたマレー系部族のメルディカ人(Merdicas)が現在のテルナテ町周辺に移住したことによる。テルナテ島は一時ポルトガル人が植民地化したが、後にスペインの植民地となった。そのうち一部の人々が1574年、スペイン人の呼びかけに応じてルソン島に渡りカヴィテを本拠に中国人海賊(林鳳)との戦いに備えた。結局リマホンの襲来は起こらなかったが、メルディカ人共同体はマラゴンドン川(Maragondon River)河口周辺に住み続けた。現在ではその地がテルナテ町と呼ばれ、メルディカ人の末裔はポルトガル語の影響を部分的に残したスペイン語クレオールを使い続けている。」とあり、また同じくウィキペディアの「テルナテ島」の記述によれば、
「スペイン人は~中略~1606年にテルナテ島のポルトガル人が築いた砦を占拠し、スルタンを捕まえてマニラに移送した。」
となっています。

ウィキペディア英語版のテルナテ島では、ポルトガル人が現地のスルタンの許可を得て要塞を作り出したのが1522年。そして、スペイン人による城塞都市「マニラ」が作られたのは1571年から。ここから察するに、ポルトガル語系クレオールが生まれたとするなら、1522-1574年の間としなければなりません(もちろん、ピジンは要塞を作り始める前からあったでしょう)。そしてその言語がテルナテ島で使用されていた段階で既にスペイン語の語彙に入れ替わり、メルディカ人の一団によってマニラの方にもたらされた後、現在のチャバカノ語の原形になった、ということです(ちなみに、Lipski等の学者が言っている説は日本語版の「チャバカノ語」の項の説明とは違う部分がありますので注意。)。

私としては、マニラについてからメルディカ人の2世が現地でクレオールを始めた気がしてなりません。テルナテ島では、現地語を継承するかぎりクレオールを生み出す必要がありませんから。もしそうだとすれば、上に書いた理由その一は先行ピジンにしか関係なくなります。理由その二は、現地社会の優勢言語のひとつがタガログ語だったとすると生まれたときからの宿命だったと思われます(そうするとビッカートンの定義からは外れ、彼の言う「クレオール」には含まれなくなります)。

しかし、ここで疑問がひとつ。メルディカ人はそもそもテルナテ島では母語として何語を話していたのでしょうか。マレー語だったのでしょうか。だとすれば当時のマレー語をちょっと調べなきゃ。。

サンボアンガのチャバカノ語の文法を見ているとタガログ語と相当近いところもあり、いったん生まれてからタガログ語に近づいていったのか、最初からそうだったのか、または実は他のフィリピン諸語の影響なのか、ちょっとわかりません。いかんせん、1600年から最初の言語学的な資料が出てくる20世紀前半までの間に時間がありすぎて、ビッカートンが知りたいような情報はチャバカノ語からは得られそうにありません。

サンボアンガのチャバカノ語については、再びウィキペディアによれば、
「かつてスペイン領フィリピンはメキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)に属しており、1635年6月23日に要衝サンボアンガにサン・ホセ要塞(現在のピラール要塞)が着工した後、ルソン島のカヴィテ州やヴィサヤ諸島のセブやイロイロから派遣された労働者たちがスペイン人やメキシコ人の兵士たちとともに建設に従事した。これにより多様な言語が混ざり合い、その後もスペイン人宣教師・軍人がサンボアンガの政治や宗教に影響を与える過程でスペイン語化が進んだ。」
となっていて、上の仮説から言ってもたしかにピラール要塞を作り始めた頃にクレオール世代がサンボアンガに行って、現地で共通語がない中で主要言語になった、というのは納得がいきます。ただ、マニラ地方で生まれてから20年弱しか経ていないホヤホヤの言語が異なる場所で独自に発展していったとすると、カビテ・テルナテのチャバカノ語とサンボアンガのチャバカノ語が今でも相互理解できるほどに文法的に類似しているのは、ちょっと無理があるのではという気がしなくもないです。定期的に人の交流があったとすれば別ですが。まぁ、あったのかなぁ。

以上、来週末5年ぶりにサンボアンガへ行くので、ちょっとチャバカノ語の歴史を調べ直してみました。いやはや、興味が尽きない。

セブアノ語とタガログ語の小辞の比較

言語変化について書いてある社会言語学の本などを読んでみると、ある単語の持つ意味がスライドするように変わることはよくあることだ、ということがわかる。同じ言語の中でも変化するし、それから隣同士の言語、たとえばスペイン語とポルトガル語の間で基礎的な語彙の意味が微妙に違うのを見れば、納得できる。

同様に、タガログ語とセブアノ語(ビサヤ語)の間にもそういった類の違いがみられる。特に、小辞について。

ようは、同じような働きをする同じ音の単語が別の意味を持っている、ということ。とても紛らわしいので、こういう違いがある言語は同時に勉強し始めない方がよいです。

さて、まだ検証中な部分もありますが、タガログ語とセブアノ語(ビサヤ語)の間での小辞の対応をまとめてみます。

小辞の対応表

 
もう 語気 ~か(疑問) まだ だけ である一方 本当に お願い だろうか ~だって
タガログ語 na na ba pa lang naman nga nga kaya daw, raw
セブアノ語 na ba ba pa ra man lagi daw biya(bya) 接辞なし

とまぁ、こんな感じ。ちなみに、ここに出てくる小辞ではなく、リンカーや助詞扱い(これも小辞の一種)でタガログ語の”na”はビサヤ語で”nga”です。

接辞については、さらに語順がタガログ語とセブアノ語で違います(注:以下のセブアノ語の箇所は、まだ一部検証中です)。

タガログ語:
na/pa nga/rin/lang daw/pala naman po ba yata/kaya/sana/tuloy

セブアノ語:
ra na/pa ba man lagi biya daw

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(こちらの著者サヤス先生は、つくばで博士を取得したカガヤンデオロ出身のUPディリマン教授です)

セブアノ語に出てくる3つの”kay”

ダバオに住みながらビサヤ語(セブアノ語)を勉強するという当初の計画。ダバオはタガログ語もよく使われているので、あらかじめタガログ語を覚えた自分としては好都合だ、と思っていた。実際には、ついタガログ語を使ってしまうのでなかなか上達しない。かつ、ダバオのタガログ語は底が浅いというか、マニラの方とは響きからして違う、言ってみれば2流。どっちつかずな感があります。

ともかく、それでも半年もいればなんとなく耳が慣れてくるし、たまにオンラインでセブ出身の人に習ったりもするとセブのビサヤ語との違いが気になってきたりもする。ここでも、ダバオのビサヤ語は底が浅いというか、本場セブのとは使われる語彙とか違うよう。

たとえば標題の”kay”に関しては、ダバオでは次の2つしか聞かない。
1) 名前に付ける”si”のsa形であるkay。
2) 理由を表す接続詞のkay。

セブの方ではさらにもうひとつkayがあるよう。すなわち、
3) kaayoの省略形であるkay。

上記のkayはひとつの文に同居することもある。
例: Kaligo ka didto, kay baho kay ka. あんたとっても臭いから水浴び(またはシャワー)しなさい。

ところでセブアノ語がタガログ語と文法的に違うなぁ、と思うのは「あんた」を表す”ka”の前にkaayoがつくという語順。タガログ語の”ka”は、どんな接辞よりも前にくるのに、セブアノ語ではけっこう後ろの方。私の推測では、セブアノ語の方がもともとの語順なのではないかと思う。というのは、タガログ語の”ka”と”mo”の接辞に対する位置は、他の代名詞の位置と違う例外的な処理が必要だから。ビコルやイロンゴ、カパンパンガンなどで例を集めて比較してみると答えにもうちょっと説得力が出てくる気がする。

というか、その前にもし現地の言語学の論文を探せばもっといろいろ見つかるんだろうな。