学問のススメと、日本語特有の話し方

ふと、半年ほど前に読んだ福沢諭吉の「学問のススメ」のことを思い出した。以下、読書とから連想したこと2点書きます。

1) 本の内容について
今まで覚えている本書の内容は、「学問のススメ」というよりも「民間でやっていくススメ」である。デキるやつが政府に入る、というようなお上にすがって生きていくライフスタイルを批判し、それよりも民間でどんどん盛り上げていこうぜぃ、というような内容だったと理解している。

しかしながら、こと教育に関しては、日本は今まで真逆の道を歩んでおります。一万円札に肖像を刷っておきながら、その実中身はまったく生かさないという、いつものパターンです。

2) 書きぶりについて
読んでいて思ったのは、この本を翻訳するのは大変そう。文章自体は翻訳できるだろうけど、話の流れが日本的だからです。論理構成といいますか、これ。最近、特にビジネス教育やらディベートやらなんやらで批判されているようなことをこの方はやっているわけですが、それってようするに日本の従来の話し方のスタイルなわけです。その点がとても目につきました。

俺はそういう話し方は理解できるけど、自分が話すときにそういう風に話すわけではない、そういうスタイル。今の若い人とか、外国語ができる人とか(もちろん福沢諭吉も外国語はできました。が、話し方のスタイルは習得していたんでしょうか)は、使わなくなってきていると私は思うんです。世界標準の論理展開方法じゃない、というのがただひとつの理由です。

でも、本当は外国語を学ぶ上での一番エクゾチックな部分はそこなんだろう、と思うんですよね。どういいましょうか、ある程度英語を勉強したら逆に見えてくる壁、あれです。「英語ではそういう風にはいわない」という、あれです。ヨーロッパ系言語だと共通している部分も多い気がしますが、アジアの言語はまた別の話し方があるはずで、もしそこが標準化(=英語のやり方)してしまったら、外国語が、単なる文法と単語の置き換えにすぎなくなってしまうんじゃないか、と残念です。一方で、外国語を学ぶ負担は相当減るだろうとも思います。グローバリゼーションの結果ですから、まぁなるようにしかならないでしょうが。

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