言語の関節

最近ときどき考えること、多言語を話すということについて。

俺は母語は日本語だが、もっと言えばほぼ博多弁である。方言の中にも敬語チックな用法はあるので、細かく言えば博多弁のいわゆる普通形、敬語の2種類はある。一方、小さい頃からテレビやら絵本やらで標準語にも親しんでいたので標準語も理解できたし、使えた(主に書き言葉としてだったが)。話し言葉としての標準語はようやく大学に入ってから話すようになったが、それも全く苦でなかった。

ということで、小さい頃から博多弁と標準語のバイリンガルで、さらに丁寧語、敬語モードがあるのでマルチリンガルだった。俺は、マジメに言っています。

というのも、多言語を話すようになって思うのは、言語の切り替えは実際問題としてモードの切り替えでしかない、と感じるからだ。場面に応じてモードを使い分けるということが本質的なことだと思う。

しかし、言語の距離によってその難しさは違う。たとえば日本語の方言と標準語では、語彙はほぼすべて同じなわけで、変換する箇所は少ない。チェックポイントがいくつかある、というわけだ。

ここで俺は「言語の関節」という概念を提唱したい。上記のチェックポイントは紛れもなく関節で、動かすときにコントロールが必要。

日本語が母語(=基準)の俺が外国語を話すとき、言語によって関節の数(ともちろん位置も)が違うと感じる。たとえば英語は文法が日本語から非常に遠いので、関節の数もそれだけ多い。語順はもちろん、単語の持つ意味の幅、冠詞、複数か単数か、またそれによる活用、云々。。実際には話しながら即興的に組み立てていくわけだが、実にたくさんチェックポイントがある。

次にスペイン語のときは、また別のチェックポイントが現れる。おそらく、俺はスペイン語のときは英語を基準にして話していると思う。その上で「関節」は、名詞の性、目的代名詞が前に来ること、動詞では人称、線過去と点過去、過去未来かどうか、接続法かどうか、などなど。また、英語の言い方をそのまま訳すと失敗する例があるので、そこに触れていないかもチェックしている。

一方タガログ語のときは、また別の観点からチェックしている。特に重要なのは動詞の焦点、能動的な行為かどうか、ニュアンスを出す小辞の語順とその設置に伴って主格代名詞の位置変更があるか、等。言語によってチェックする観点が違うというのは、それぞれの言語が持っている考え方が違うということを示していると思います。それが、外国語学習で俺が一番好きなところ。

チョムスキーの生成文法は俺はまだちゃんと勉強してないのだけれど、あのツリー式の表現方法の中に上記の関節は含まれているはずだと思う。文法が似ているかどうかをこの関節の数とか質とかで評価するアプローチを使えば、これまでの定説と若干違う意外な結果が出るんじゃないかという気もしないわけではない。

もうちょっと考え続けてみます。

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