教材に仕事をさせる

去年末のことになるが、障がい者教育に関わり始めるにあたって、以前から気になっていたモンテッソーリのメソッドについてちょっとネットで文献にあたってみた。それまでにも日本語で出版されている本を読んだことはあったのだけど、それを読んでも具体的な方法論のところが判然としなかった。たとえば、以下。

モンテッソーリの教育 0歳~6歳まで
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「モンテッソーリの教育 0歳~6歳まで」モンテッソーリ(1982)

モンテッソーリの教育―子どもの発達と可能性 子どもの何を知るべきか
マリア・モンテッソーリ
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「モンテッソーリの教育―子どもの発達と可能性 子どもの何を知るべきか」モンテッソーリ(1980)

ネットで調べていくにつれて、モンテッソーリ教育についてだんだんわかってきたのは、このメソッドは泥沼だということだった。どうやら、組織化の方法がまずかったようだ。とはいえ世界的に流行らせたのだから、十分に成功しているとも言えるが。

ともあれ、俺なりに考えてみて思うに、モンテッソーリ教育の画期的なところは、「教材に仕事をさせる」という発想ではないかと思う。とかく教師が主役になろうとでしゃばってしまいがちなのが「教育」。授業というのは、教師がどれだけがんばったかではなくて、子どもがどれだけ成長したかで評価すべきなんだ、という当たり前のことを再確認させてもらえたような気がする。子どもを刺激するモノとしての、教材。これこそが教師が集中して選んだり作ったりするべき対象なのだと思う。

ちょっと話は変わるが、先進国と途上国の教育(成人教育でもそう)の何が決定的に違うかというと、授業準備だと俺は思う。途上国の典型的な教師は、準備をしないのではないか。「準備をしない」とは、そもそも教材を用意しないことだし、もし用意したとしても、それを与えたときに子どもがどういう反応をするかという予測までしていない、ということ。授業の展開をあらかじめ考えていないので、授業の結果はフィードバックにならず、教師自身が方法を改善できない。

これは、モンテッソーリのメソッドから見れば、真逆のやり方だと思う。子どもに教材を与えて、その影響をよく観察する、というのがモンテッソーリ流なはずなので、そもそもどんな教材が必要かを考える時点で、授業準備をしないわけにはいかないはずだからだ。

ということは、途上国の典型的な教育は、モンテッソーリから何も学んでいない。これは過去の偉人に対する侮辱以外のナニモノでもないと、俺は思う。

俺の場合、実際にこの考え方を中心に据えて日本人学校での授業や、楽器のレッスンをやってみるようになって、ずいぶんと結果が変わってきた。特に、小さな子ども相手の場合、授業の様子が全然違ってきている。これはすごい、と思った。また、相手が障がい者がどうかは関係ないということも実感している。
これからもう少しいろいろと実験しながら、自分の教授スタイルを作っていきたいと思います。

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