なぜ新教育は死語になったのか

「新教育」というのは大正デモクラシーの時期に流行っていた教育思想で、それまでの講義中心の教育を「旧教育」と呼び、子どもを中心に置いた教育を推進することを是としていた。自由教育とも言った。20世紀初期の話なので、旧教育=近代教育の歴史は当時においてはまだまだ浅かったわけです。

大正の新教育運動で唱えられたスタイルというか思想には、いろんな種類があったようだが、その中にはアメリカ発ジョン・デューイの経験主義的な進歩主義教育思想とか、あるいはドイツのシュタイナーが進めていた神秘主義的なシュタイナー教育もあったし、なんといってもイタリアで生まれたモンテッソーリの教育があった(当時、モンテッソーリ教育は日本においてはスタイルごとは導入されていないようだが)。なにしろ当時の教育は実験的なものがどんどん生まれていた。1920年代は、イギリスでニールがサマーヒルを開始し、フランスではフレネが独自のフレネ教育を実践していた、そんな時代だった。

そういう時代背景もちょっと頭の片隅に入れつつ、今回、ジョン・デューイの「学校と社会・子どもとカリキュラム」を読んでみた。デューイは、前回書いたように、おそらくカール・ロジャーズの教育観にも影響を与えたと推測します。

デューイはアメリカをはじめ学界では重鎮だったはずなのに、なぜ現在の教育、少なくとも日本の教育にこうも影響がないのだろう、というのが私は非常に不思議でした。というか、他の自由教育についても同様ですが。教育学の教科書で必ずとりあげられるのに、その本質的な部分が実践に生かされていないとしたら、これは先達をバカにしているとしか言いようがありません。「応用」とかいう名のもとに、実際には骨抜きにしているだけの実践というのは、巷ではよく見られます。

さて、本書「学校と社会・子どもとカリキュラム」を読んで、なんとなく状況がつかめてきたように思いました。というのは、この2論文は、実証的な論文ではありません。単なる教育論です。論文が導き出すものは、真理なんてものとはほぼ遠いわけです。

だから、たとえば「当時とは時代の状況が違うから」とかいう理屈で教育の方向性がねじ曲げられたとしても、真理を盾に言い返すことができません。論だから。結局、政策に反映されるのは世論がすべてになってしまいます。近代化を/が要請する軍国主義のもとに、一網打尽にされてしまったのでした。

っていうか、読後、デューイのことを改めてネットで調べてみるに、この人は哲学と心理学がディシプリンの中心であって、教育論はそれ自体実験のようなものだったようです。彼の教育学は、権威ある哲学者が打ち出したものだったから評価されたのであろうと推測します。

日本では戦後、中央が管理する教育システムの一本化によって、オルタナティブ教育の入る余地がなくなってしまいました。いわゆる「私学」でない朝鮮学校やインターナショナルスクールをのぞけば、特に初等中等教育では、不登校ブームあたりまでは皆無だったんじゃないかと思われるほどです。高等教育でさえ、リベラルアーツ教育をできている大学学部はあるかないかぐらいの勢いと思われます。

さらにびっくりすることには、21世紀に入ってからも状況が基本的に変わっていません。きっと、日本経済が大きく揺れないことには、国民の考え方も変わらず従って教育が変わるきっかけもないんだと思います。日本では「新教育」なんて誰も言いませんが、実態は旧教育の延長線上です。他の先進国ではどうなのか、伝聞ではなくて自分の目で見たいなあ。。

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