開発援助がつくれない社会生活

コミュニティ開発自体を飯のタネにしたいとは思わないけど、どんなカタチにせよコミュニティに入り込んで活動を行うときに、自分の立ち位置とか影響についてはしっかり考えたい。

ということで、読んだ本。開発援助することを前提としつつも、ちょっと違う角度から批判的に考えるという観点がユニーク。

「参加型開発と国際協力 変わるのはわたしたち」ロバート チェンバース(2001)明石書店
=”Whose Reality Counts?: Putting the First Last” Robert Chambers(1997)

参加型開発と国際協力 (明石ライブラリー)
ロバート チェンバース
明石書店
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は、開発において誰のリアリティが重要なのか、という批判的な考察で埋め尽くされており、専門家(=開発業者)や研究者の考え方が変わらないと開発自体うまくいかないよ、という本。

参加型開発という言葉はすっかり定着したけれど、これって実は手法じゃなくて、考え方だということはそれほど定着していないっぽい。フレイレの教育にしても、文献を読んでもなかなかわからないのは、それが知識ではなくて技能に属する事柄だからなわけです。たとえて言えば、楽器をやるのにいくら教則本を読みこんだって、できるようにはならないのと同じです。

もっといえば、ワークショップ全般で、表面だけなぞって終わりというお粗末なものが多すぎると思います。上記著書では、参加型開発の失敗事例なんかに触れており、たぶん同じなんだろうな、と思います。

次に、

「開発援助がつくる社会生活―現場からのプロジェクト診断」青山和佳・受田宏之・小林誉明(2010)大学教育出版

開発援助がつくる社会生活―現場からのプロジェクト診断
青山 和佳 受田 宏之 小林 誉明
大学教育出版
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は、援助をしかける側の構造上の問題が非効率を生む、という指摘ももっともなんですが、それ以上に、いわゆる援助の裨益者の側のしたたかさというか主体性についてクローズアップしようとしているのが新鮮です。

上記2冊はそういう面で似ていると思います。

別に読んでて楽しくなってくるような本ではないけど、お勉強として読んでみるのはアリと思います。

新司法試験制度の失敗

導入から6年。新司法試験制度の導入の失敗は明らかといえそう。

(数字で読む政治)23.5% 制度改革、もくろみはずれる 11年度の司法試験合格率

政府の目指した新司法試験合格率の7,8割には到底及ばす、よって法科大学院への入学希望者も振るわず、結果、法科大学院の募集を次年度から取りやめ数年後に廃止する予定の大学が相次いでいる、という記事。

今年7月の時点で、駿河台大、 姫路独協大、桐蔭横浜大(横浜市)と統合する大宮法科大学院大、明治学院大、神戸学院大が募集の取りやめを決めている。

今回も、おとなりの韓国では新制度の導入はうまくいったそうで、日本としては歯がゆい感じかな、と思ったり。

もちろん、新制度の結果弁護士が増えているのは事実で、その点では大失敗とはいえないだろう。が、投入に対する効果という面では、相当のお金が無駄に使われたということになる。設計の時点でもっと工夫していれば、と後悔している当事者も多いことだろう。

国費投入での失敗の責任というのはどういうカタチで追及されるんだろうか。官僚は表面に出てこないからよくわからんが、それこそ日本の政治の問題点なのかなと思います。

サンダカンまで、と在日

数ヶ月前に、山崎朋子の「サンダカン八番娼館」文庫版を読んで、そして今回は彼女の自伝を読んでみた。

「サンダカンまで わたしの生きた道」山崎朋子(2001)朝日新聞社

サンダカンまで―わたしの生きた道
山崎 朋子
朝日新聞社
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俺のこの著者の本を読むことになったきっかけを記せば、数年前に「川崎市ふれあい館」という施設で、上記自伝が新刊図書として並んでいたのを見てそれを覚えていたからだった。当時、「サンダカン」という新出単語を自分が理解できなかったことから、興味を持った。

しばらくして、フィリピンに行ってから「サンダカン」という名前をまた見かけた。スールー諸島の先の、マレーシアのサバ州にある、昔栄えていた町の名前だというのをそのとき知った。それでだと思うが、ウィキペディアかなんかで調べて従軍慰安婦関係の本を書いたフェミニストだということを知ることになった。

でも、彼女の著作を手に取るまでにはまだ距離があった。去年、たまたま沢木耕太郎のエッセイを読んでいた折、近藤紘一の「サイゴンから来た妻と娘」を引用しながらべた褒めするような文章があり、タイトルは冴えないけど読んでみるか、とちょっと思った。その後、フィリピンの困窮邦人を描いた「日本を捨てた男たち」を読んで、大宅壮一ノンフィクション賞という賞の存在を知り、近藤紘一の上記作品も、そして山崎朋子の「サンダカン八番娼館」も、同賞を受賞していたことを知った。それでようやく、古いけど読んでみるか、と決断したのだった。

たしかに両作品とも、当時の本にしては筆致が古臭くなく、今読んでもわりとストレスが少ない。その点、たとえば犬養道子の「人間の大地」なんかとは大違い。山崎朋子の方は、口癖のようだが「~としなくてはならない」という語尾は気になるけれども。

とにかくさすがに読んでよかったなと思ったし、だからこそ結局自伝まで読むことにしたのだった。

この自伝、タイトルの通り「サンダカンまで」しか書かれていないのだが、これはこれでおもしろい。特に時代毎に登場するテーマが全くというほど違って飽きさせないのは、さすが作家と思います。中盤まで読んで、ようやくなぜこの本が「ふれあい館」に置かれていたのかが理解できたのだが、実はこの本には、当時の在日韓国・朝鮮人とその周囲について知ることのできるエピソードが、自伝の重要な要素として一章を占めていたのだった。

アーティスティックな雰囲気を愛する理想主義者である筆者の、被抑圧者に対する想い入れを強くするきっかけとなったのが、彼女にとっての「在日」だったのだろうと思う。そこでは自分は彼らに溶け込めない部外者のようでいて、ステークホルダーという意味でいうならば、実は当事者そのものなのであった。

被抑圧者の問題を考える上で自分の立ち位置への考慮は欠かせないが、そのことが今ほど声高に叫ばれない当時のパラダイムに想いを寄せながら読みました。

JICA編・日本の教育経験

ここのところ、読書のペースが上がり気味。今のうちに日本語の本をたくさん読み貯めておいて、海外に行ったら外国語学習に力を注ぎたいな、と思いつつ。と言いながら、実行に移したことは今までなかったが。

さて、今日はちょっと批判的なコメントを。読んだ本は、

「日本の教育経験―途上国の教育開発を考える」JICA編(2005)東信堂

日本の教育経験―途上国の教育開発を考える
国際協力機構 JICA= ジャイカ=
東信堂
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という、国際教育協力にも力を入れているJICAが出した、日本の教育史や公教育システムをコンパクトにまとめあげた一般向けの本。日本教育史といえば、とても読む気にならないような分厚い本しかイメージできない俺だったが、字も大きいしこれならば、と思って手にとった本でした。

中身はその狙い通り、海外に教育協力として技術移転を行う上で、まず自分たちが知っておかなければならない自分たちの歴史、という趣旨で、コンパクトにまとめられている。おそらく関係者は、いろんな項目を掲載したいところを、分量の都合上惜しみながら捨てざるを得なかったのだと推測します。

が、俺にとって非常に残念なことに、本書にはマイノリティの教育という分野がほぼ完全に欠落していて、障がい者教育のページがわずかに割かれているだけだった。

まず、寺子屋の記述の中には、その中で女子が学んでいた(なかった)のか、ということに全く触れていないが、あるいは言うまでもないとして書かれなかったのだろうか。次に戦前の沖縄、北海道、植民地での公教育や部落、それから戦後の在日はあたかも存在しなかったが如く、本書には登場してこない。さらには公教育が始まったころから、単一の日本語で足りた、というような記述まで出てくる始末。JICAですらこういう認識というのは、ある意味びっくりです。

上記のような無関心が、マイノリティの教育が問題提起しなければならない対象であって、かつその無関心が日本社会での支配的言説であった(ある)わけで、政府の認識でもあるのです。その点では、さすがJICAなので、政府見解に相当程度沿うように作られていると見ることもできよう。

が、国際教育開発の案件を多数やっている組織として、これでいいの?と思わざるをえないです。

グラミン銀行を知っていますか

数年前のノーベル平和賞でも話題になったバングラデシュのグラミン銀行。ここのマイクロファイナンスのプログラムは20世紀後半のイノベーションの中でも有数だと思います。

おかげで今では世界中でマイクロファイナンスが大流行しており、グラミン銀行に影響を受けたメソッドは、先進国においてさえも実施されているんだそうです。

いろんな文献やらでなんとなく聞いていたグラミン銀行についてですが、実は、なかなかつかみどころがないというか、よくわかっていませんでした。というのは、わかりやすく解説してくれる本に出会ってなかったからです。そんな中、字も大きくて読みやすい以下の本は、ようやく見つけた入門書でした。

「グラミン銀行を知っていますか―貧困女性の開発と自立支援 」坪井 ひろみ(2006)

グラミン銀行を知っていますか―貧困女性の開発と自立支援
坪井 ひろみ
東洋経済新報社
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俺が興味を惹かれたのは、もちろん無担保なのに高い回収率を維持するそのシステムもですが、センターでの定例ミーティング等による「借り手教育」でした。成人向けの学校外での教育(というか啓発)のメソッドとして、かなり注目に値すると思います。

なにしろ、このメソッドが発達してきた時代背景の影響もあり、いわゆる参加型の運営で、借り手をエンパワーするいろいろな工夫が見られます。たとえば、本書で紹介されている、以下の「貧困のない生活」の定義を見てみてください。

「貧困のない生活」
(1) トタン屋根のある家をもつ
(2) 家族全員にベッドがある
(3) 安全な飲み水が手に入る
(4) 衛生的なトイレをもつ
(5) 就学年齢に達した子ども全員が学校に通える
(6) 冬用の暖かい衣料が十分にある
(7) 蚊帳がある
(8) 家庭菜園がある
(9) 生活がどんなに苦しいときでも食糧不足にならない
(10) 家族の大人の働き手全員が十分に収入が得られる機会をもつ

生活に根ざした項目ばかりで、何が課題なのかがわかりやすく伝わってきます。一日一ドル以下、とか人間開発度数とか言われても全然ピンとこないのと好対照です。

ちなみに上の基準を試みにフィリピンのスラムにあてはめてみると(6番は必要ないですが)、けっこう悲惨な状況だということが了解されます。バングラとの比較はできないにせよ、どちらでも圧倒的に不足しているものが目立ちます。

グラミン銀行のシステムがいかに成功しているといっても、貧困の規模は圧倒的で、たとえばバングラデシュはまだまだ貧乏です。みんながこのシステムを真似するだけじゃなくて、一部の人たちはもっとよい別のアプローチを探さないといけないんだと思います。

とはいえ、とりあえずこのモデルを学ぶことは相当に価値あることだと思いました。

フェイスブックのニセアカウントへの対処法

どうやら、アルファベットで名前を登録している人の中に、同じ名前で偽アカウントを作られている人が増えているようです。

たとえばこんな感じ。
「SNSにいるあなたの友達は本物ですか?」
以下リンク先、(防ごうにも防げない? Facebookで漏えいする個人情報)のほぼ真ん中あたり
http://www.atmarkit.co.jp/fsecurity/rensai/clip02/01.html

その友達“本物”ですか? 偽のFacebookアカウントを見破る8つのポイント
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1202/24/news078.html

そして、被害を受けるのは一般市民だけではなくて、著名人や企業なんかも、特にフェイスブックを利用していない人がフェイクのアカウントを作られて迷惑するケースがあるようです。

重要性を増す「公式アカウントを運用しないリスク」
http://media.looops.net/fukuda/2012/01/13/official_account/

これらの問題は、フェイスブックにとってはユーザーが離れていってしまう原因にも成りうる脅威ですので、対策もそこそこ整っているようです。まずは、自分のウォールにその旨を書き込んで周囲の人に知らせること、それから、フェイスブックにレポートを送って早々に偽アカウント消してもらうことです。

違反の報告方法
https://www.facebook.com/help/?page=204546626249212+%3Fiframe%3Dtrue&width=100%25&height=100%25

フェイスブックをめぐっては、この他にウイルス系を取り込ませるような罠だったり、それでなくてもフェイスブック上のプライバシー設定をちゃんとしていない場合、第三者に自分の友人やらなんやらを見られてしまうということもあります。フェイスブックを使うこと自体は難しくないですが、ストレスなく使うことについてはそんなに簡単ではないようです。

売る身体・買う身体

大学院で、女性学というかジェンダーの社会学をちょっとかじったり、それからフィリピンのNGOで女性のエンパワメントに関わる活動に参加したり、元エンターテイナーへのライフヒストリー的なインタビューをしてきたが、心の中でまだなんとなくはっきりと整理がついていないことがある。

日本の中で元エンターテイナーの外国人女性が生きていく中で直面する差別的な扱いというのは、女性であり、途上国出身外国人であるということに加えて、いわゆる「フーゾク」に関わってきたというレッテルによる。単純に言って3重苦的です。それに途上国での階層も考慮するなら、4重苦ともいえるかもしれない。

上でふれた「フーゾク」に関わってきたという差別には、当時の就労実態は関係なく、たとえば見た目から判断される「どうやらそうらしい」といった根拠だけで判断されている。というのも、風俗産業に出入りしない人からすれば、細かい差異はどうでもいい。例をあげると、実際にはフィリピンパプは、売春が営業行為でない場合も多数あった(ある)にもかかわらず、テレビドラマの影響等も手伝って、なんとなく、フィリピンパプ=売春という図式で考えられるようになってしまった面もある。

ところで、実は当事者の女性たちの間にもある区別というか差別だが、単にホステス業をするのと、売春を営業とすることとの間には、感覚的に一線があるように思われる。それってなんなんだろうか、と考えたことはないでしょうか。

今回読んだ本、『売る身体・買う身体―セックスワーク論の射程』 (1997) 田崎英明 は、そういった話をまとめたセックスワーク論に関する論考でした。

売る身体・買う身体―セックスワーク論の射程 (クリティーク叢書)
田崎 英明
青弓社
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本書の定義による「セックスワーク」は、いわゆる性風俗産業における労働全般であり、ホステスも売春も同じ系統として扱うのみならず、「スチュワーデス」や「看護婦」のサービスとか、一昔前のOLのお茶くみも含み、もっといえば、主婦だって自分の身体を売って食べていっているのだから、という。

こんなことを聞けば、フィリピンパブの女性が売春婦と間違われて憤慨するように、当事者であるスチュワーデスや主婦は怒り出すだろうが、しかし、一理どころか、きわめて説得力のある主張だということが本書を読めば理解できる。

セックスワークとか何か、何が問題か。

本書ではまず、強制労働としての売春は奴隷状態なので、労働ではないと説く。平成に入ったあたりから日本で問題とされてきた外国人のフーゾクの一部分は、まさしくこれに違いない。それに、売春でなくとも、来日時点で架空の借金を負わせる明治あたりからの女衒のやり方も奴隷労働の一形態だ。

次に、売春だと薄々予感して日本にきたけど、こんなにヒドイとは思わなかったとか、そういうボーダーラインなケースがある。これは当人の主観によるところがあり、開き直って職業売春婦として生きていく人もたしかにいるだろう。それから本国でも売春をやっていて、どうせやるならもっと稼ぎたいと思って来日してくる人もある。海外売春の問題も、そういう類型があることを理解しないとなかなか把握しづらい。

売春はいかん、と日本では少なくとも建前的には考えられていると思われるが、否定派の中には、絶対的にいかん、という意見もあれば、妻帯者がやるのはいかん(奥さんが買春したらどう思うか、という問題提起の裏返しとして)、とか、いやこれは先進国の人が途上国の女性を買うから問題なのだ、とか、あとは行為内容による、という人もいるだろう。

そういう話はそれだけで延々と続きそうだが、それはそれとして俺が注目したいのは、売春する人にスティグマをはって差別するという世の中はいかんでしょ、という問題提起。一夫一婦制的な、キリスト教的な世界観の影響だかなんか知らんが、現に世界に相当数いる、自分の意思または強制的に売春に従事することになっている人、または過去にそうだった人を、差別し続ける構造をなんとかしないといけないんだと強く思う。

そういった女性とその問題を扱った本なんかでも、素朴に差別的なものがいっぱいある。たとえば、この前読んだ山崎朋子の「サンダカン八番娼館」を読んで感じた違和感もそういうものだったし、フィリピン女性関係では、白野慎也の『フィリピーナはどこへ行った』もそうだった。女性学の中でもかなり問題になっていたようだが、いちおうの整理はついているのだろうか。

マイケル・サンデル的な問題提起としては、障がい者が利用するセックスボランティアについての是非の問題もある。というか、ボランティアじゃなくて職業売春婦を税金によって賄うべきだ、という意見とか、真剣に考えてよいように思う。

それは、セックスワークに対する考え方を根本的に改めることを迫ることになるかもしれない。現に、社会的な位置づけは明治以降、急激に変わっていったようで、近代日本では「ザ・メモリー・オブ・ゲイシャ」みたいに社会的地位の高い名士が芸者と本気で恋に落ちる、なんてこともわりとあったようだ。そんな世の中もありうる、ということで、これからも折にふれてこのテーマは考えてみたい。

簡易書留と配達記録郵便、特定記録郵便

そういえばと思って、ゆうちょ銀行のオンライン、ゆうちょダイレクトの申し込みを海外に行く前にしておこうかなと思いました。

で、手続きを調べてみるに、完了するには簡易書留を受け取らないといけない。今は住所と違うところに滞在しており、住所地に戻ったら一週間程度で赴任となってしまうので難しいかな。。

とか考えつつ、ふと簡易書留ってなんだっけ?と思いました。とりあえず、簡易書留と配達記録郵便の違いは以下を参照。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212830582

しかし、配達記録郵便が2009年2月に廃止され、代わってできた特定記録郵便との違いの方が重要です。なので、比較表を探してきました。以下を御覧ください。

http://okepi.net/help/tokuteihikaku.html

関係を整理できましたでしょうか。またしばらくしたら忘れそうだなーという予感がするので、備忘録として記してみました。

これからの「正義」の話をしよう

文庫版を読みました。

『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』(2010)
マイケル・サンデル (著), Michael J. Sandel (著), 鬼澤 忍 (翻訳)

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
マイケル サンデル
早川書房
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きっかけを忘れてしまったけれど、フィリピンにいるときにyoutubeかなんかでたまたま目にして以来、ファンです。英語の授業だと細かいところが何を言っているのかわからなかったのだけど、東大TVでの日本講演の放送等を通して、ちょっとわかりかけていました。

今回、日本語訳を読んで、前よりも理解が深まって満足です。

この本、タイトルはくさい感じですが、本当におもしろいです。おすすめです。

代理出産や臓器売買についてなど、新しい思っていた問題も意外と新しくないんだな、ということがわかりました。

代理出産については、売春との根本的な違いなど、まだ考えることがあります。今、そういう本を読んでいますので、終わったらまた紹介しますねー。

フィリピン、マニラが大雨で浸水

このブログではときどきフィリピンのことを取り上げるのだが、どうしても自然災害系のニュースが多い。というのも、ひとつにはフィリピンが(ある意味で)厳しい自然環境にあるということと、それから治水が整っていないとか、貧困層がリスキーなところに住みがちという理由から、自然災害での被害が大きくなるからだ。

さて今週だが、フィリピンの首都マニラが、またひどい大雨の直撃を受けて浸水して大変なことになっている。NHKによれば、7日16時半の時点で既に53人の死亡が確認されているという。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120807/k10014131331000.html

記事はこんな感じ。

フィリピンでは先月末から台風や湿った季節風の影響で各地で大雨が降り続き、増水した川に落ちたり土砂崩れに巻き込まれたりして53人が死亡しました。

フィリピンでは、先月末に台風9号が接近し、その後も南西の湿った季節風が流れ込んでいる影響で、首都マニラのあるルソン島の各地で断続的に大雨が降り続いています。
フィリピンの気象庁によりますと、6日夜から7日にかけてもマニラや周辺の州で、1時間に30ミリを超える強い雨が降っています。
マニラの北東部を流れるマリキナ川では一部で川の水が堤防を越えて首都近郊の市街地に流れ込み、住宅や商店の1階が水につかるなどの被害が出ています。
国家災害調整局によりますと、一連の大雨でルソン島の各地では増水した川に落ちたり土砂崩れに巻き込まれたりして53人が死亡し、現在もおよそ27万人が地域の学校や体育館などに避難しているということです。
また道路が、あふれた川の水や土砂崩れなどで寸断されて孤立した地域もあり、軍や警察がトラックやゴムボートを出して取り残された人たちの救助活動を続けています。
フィリピン政府は、8日まで強い雨が続くとして、ルソン島を中心に河川の氾濫や土砂災害などに厳重に警戒するよう呼びかけています。

まず洪水が9日から10日までは続くと思われ、さらにそこからは例によって伝染病が蔓延するだろうから、また100人を超える被害者が出るのではと思う。

これ、実はたった3年前に起こった洪水と類似している。そのときは、25年だか30年ぶりだと言っていたが、どうやらこれからも定期的に襲ってくる可能性があるんじゃないか。首都がこう簡単に水没してしまうようでは、経済発展なんて期待できない、と言う人が増えてくるんじゃないかと懸念します。

マニラは低湿地帯にある町なので、浸水には非常に弱い(そんなわけで地下鉄もない)。おまけにそろそろ大地震が来てもおかしくない時期だと思われる。被害を最小限に押さえるために、災害対策はしっかりやっておくべきで、かつ途上国では特に、いかに自分の身ぐらいは自分で守るかに気をつけておかないといけない、と改めて認識。

フィリピンだからって対岸の火事と思わないで、自分の行き先のことも注意してみようと思います。