外国語学習のテクニック

学習法がときどきクローズアップされて、マニュアル的な本がほとんど定期的に売れている感があります。

最近では、たとえば東大生のノートをとる技術だとか、大学では何を学ぶべきかとか、アメリカの大学院ではこうやって生き残れ、とか。

多言語学習については、第二言語習得論や言語教授法の研究成果を取り入れて云々言う方が増えています。中学の英語教師もそういう知識を持つべきだ、というのは一理あります。ま、それ以前に英語だけで(直接法で)授業できるぐらいの英語力が必要じゃないかと思いますが。

で、こういったテクニックというのは、けっこうトピックを限定して捉えているわけで、それによって具体的に論じることが可能になるわけですが、世の中一般ではもうちょっと広く考える方が実用的です。ようするに、そもそも何を学ぶべきかを考えるということ。

教授法では、まず教えたいトピックがあり、それをどう教えるかということを考えます。なので、やる気のない(モチベーションの低い)生徒が登場します。状況は、成人教育だともうちょっとマシですが、それでもたとえばコミュニカティブ・アプローチが性格的に苦手な学習者というのは必ず存在しますし、また、学習者のビリーフによって学習スタイルがマッチしなくなる可能性があります。教授者中心だからです。

ついでに言うと、今流行のコーチングも、教授者ではないですがコーチ中心と思われます。目指すゴールを必ずしも共有できないのでは、というのが私の感触。

それに対して、学習者中心の教育学は、そもそも何を学ぶ’か(あるいは学ばないか)を決めるのが学習者で、どうやって学ぶかを決めるのも学習者です。手段として、学習者(がビリーフによって)が望めば、教師中心の教授法を選択することもあるでしょう。でも、そうでない学習法だってたくさんある。

第二言語習得では、学習ストラテジーとか言われますが、意識的または無意識的な、その人なりの学習方法があって、それによって習得がうまくいったりいかなかったりする。学問的にはどうやら小難しいことをいろいろ並べているようですが、でも原則は簡単です。

まずモチベーションがあって、学ぶぞーという行動を起こして、学習できる環境を整えて、勉強する。
そしてうまくいっているかを常にチェックして、もっといいやり方を見つけることで、学ぶ力自体をつけていく。

ようは、このそれぞれのステップをうまくできるようにすればいいだけです。

外国語学習というのは、常に見本が外側にあって、よく見えます。間違っていれば比べることができます。
その途上では、自ら何かを発明するなんてことは全く期待されておらず、ひたすら「真似ぶ」だけで済むプロセスです。そういう意味では創造力が要らない分、非常に簡単です。

ですが、外国語をどうやって修得するか、というやり方だけは自分に合ったものを見つける必要があって、答えがひとりひとり違うのでコピーするわけにもいかず、修行して「わかる」ようにならないといけません。それって、ようするに次の次元に進むことです。

外国語学習はその言語で何かをするための手段として考えられがちですが、それ自体の醍醐味がここにあると俺は思います。だから外国語学習はそれ自体で十分楽しい。と思いませんか?

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