言語帝国主義へのオルタナティブとしてのエスペラント

エスペラントは英語=アメリカの覇権へのオルタナティブと書いた。もう少しきつめの言い方をすれば、「言語帝国主義へのオルタナティブ」となる。

言語帝国主義というのは、ようするに強い言葉が世界を支配するのは当然、という考え方だ。この考え方の下では、弱い言葉は弱い立場に甘んじるのはしょうがないし、少数言語のようなとても弱い言葉は消滅するのも避けられない、という論理的帰結になる。持続可能な社会のために生態系の維持を模索している現代人にとっては、言語帝国主義の否定は一定の説得力を持っていると思われる。

しかし現実を見れば強い言葉が世界を支配している。やはりそれが自然じゃないか、と思う人も多いだろう。もっともであるように感じられるのは、実は日本も言語帝国主義の国家であり、その中で生活していると自然とその主義を内化していくからだ、と言われればどうだろう?

世界的には、共通語としては英語が強い。そうすると日本語というのは弱い言語なので、そのうちに方言のような地位に転落していく運命のように思われる。言語帝国主義のもとでは仕方ない論理的帰結だからだ。アジアのエリート層の一部は、今のうちから子どもを英語圏の大学を卒業させるべく準備しているが、そういう事態を想定しているからに他ならない。

こういう状態がエスカレートしている国として、俺の知る限り今のフィリピンがある。英語ができないと、それだけで教養がない、というような偏見がまかり通るダイグロシアな社会である。そして、商業的、学問的、文学的にフィリピンは他の英語国より立場が弱いので、自国として「正しい英語」の内容をコントロールできないどころか、出版物、各種資格試験などを外国製のものに依存するというびっくりな状況になっている。

言語帝国主義を容認するということは、日本がそのうちフィリピンみたいになるのはしょうがない、と言っているようなものだ。日本でも英語が公用語になると、ローカル日本人は冗談じゃなく不利になるのは目に見えている。では日本として言語帝国主義に反対なのかというと、実際には日本は日本語を国語として行き渡らせるために、言語帝国主義の論理を貫いてきた。

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