傍観者の時代

大学生のときによく読んだ、好きな著者の一人、ピーター・ドラッカー。

ひさしぶりに、まだ読んだことのなかった一冊を読んでみました。

「傍観者の時代」(2008)

傍観者の時代―わが20世紀の光と影 (1979年)
P.F.ドラッカー
ダイヤモンド社
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日本語の全集版では2008年の出版だけど、もとは1979年。原著の”adventures of a bystander”も同年だという。

本書の中に、俺にはひときわ気になる一章があった。それは、教育について書かれた章。もう30年以上前のこの時期に、すでに名教師のタイプに2種類あると論じているところが、さすがのドラッカー。

この章で、彼は名教師を2人あげ、一人は「いかに教えるか」に長けた人物、もうひとりは「いかに学ばせるか」に長けた人物であると説く。
前者は、従来の教育学が目指すところを体現した人物。そして後者は、学習論の行く末にある人物だ。

ここで、「学習論」は俺の定義による。なぜなら、少なくとも日本の学界で定義づけが安定しているようには思われないから。学習理論というと心理学で確立された分野だが、教育学の対になるような分野としての「学習論」は、提唱している人がいるかいないか、といった状況だ。

2012年の現在になっても、研究が必要だとはわかっていても、従来の手法ではどうにもカタチとしてまとめられない、ようするに研究が進めにくいのがこの学習論。そんなわけで、教師教育の中で、いまだにスタンダードとして取り入れられるに至っていない。

そもそもこの分野は、ソビエトの学者ヴィゴツキー(「心理学のモーツァルト」なんだとか)が始めたようなもの。1937年に他界した彼は、1960年前からソビエト内で見直され、それからゆっくりと心理学を席巻したらしい。日本では80年代あたりからアメリカ経由で入ってきて、注目されるようになってきたんだとか。それで、「状況的学習」は有名になった。

次に、動機づけ研究の流れがある。マズロー、マクレガーと進んでいくあれである。マネジメントの勉強ではよく登場する。

それから参加型学習の流れ。フレイレの識字教育の流れである。これも、ワークショップとしてすっかり馴染み深くなった。が、なにやら教育学的な押し付けがましいアレンジのものをよく見かける。俺には、うさんくさく見える。

そして、自律学習や学習ストラテジーの研究。学習者自身が学習自体を効果的にするために自分でデザインしていくという方向に向かっていく。

だが、これらは未だに萌芽である。ドラッカーが指摘してから30余年。どうも、なかなか進んでいない印象は拭えない。

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