家開きまたは住み開き

今月はちょっと欝気味というか、ひきこもってぼーっとしていることが多いです。寒すぎて頭が変になっているのかも。

たまには気分転換に一人でカフェにでも行こうか、と思って外出したところ、駅前に繰り出すと、案の定ほぼ満席。そしてカフェって意外と照明が明るい。。今の俺にはまぶしすぎるわー。

で、駅前の図書館に行ってみたら、こちらもかなりの人。不景気の影響ですかね。。結局、血をあげて献血ルームでくつろぐことにしました。

さて、今日、図書館でちらっと立ち読みした本があります。

「住み開き・家から始めるコミュニティ」アサダワタル(2012)

「住み開き」というのは著者のアサダワタルが提唱しているコンセプトだそう。家をオープンにすることで、自宅で博物館やらイベントやらをしたり、シェアメイトを募集して新しい人とのかかわりを生み出す、ということだそうです。

俺が今住んでいるところも、基本的にはそういうタイプでのシェアと思うんだけど、大家さん一家が不器用だからなのか単なる賃貸しでしかないし、実際に住んでいる俺も安いから、というだけでここにいる。これは「住み開き」の概念には乗っかってないな。。

この本を読んでみてすぐに思い当たったのは、”Couch Surfing”。旅行者と、旅行者の側面を持つ「住み開き」できる人の集まり、という風に解釈できるかも。パスポルタセルボも似ている。

ところでこの本の副題「家から始めるコミュニティ」って、どうなんだろ。もともと家がコミュニティのセンターなのは当然じゃないの?と思うんだが、わざわざそうやって言わなければならないほど家というのは核家族化もしくは一人用になってしまっているんだろうか。そんな日本の中で何かおもしろいことを、とがんばる若者に向けたメッセージというのが本書の側面なんだろうが、もはや社会の方があまりにもおかしいんじゃないの。ソーシャル・キャピタル的に、日本ってどう評価したらいいんだろうね。

まあ、そもそも高度経済成長期以後の日本の家って、核家族用以下でしかないんだろうから、他人を入れるのってわりと難しいと思う。ホームパーティをやるような家って、限られてると思います。他にも、家の中でコンサートとかできると楽しいのに、音出しでも難有りだったり、空間的にも確保しづらい面が多々あったり。音楽に関して言うと、もともとそんなに狭い場所でやるもんでも、一人でやるもんでもないんだよね。。家に踊れる空間もなく、それが原因でか、もはや踊る人もいない。どうも違和感があります。

ときどき、日本に住んでいる外国人の方が、そういう日本的な制限を無視してホームパーティを主催することがあって、騒音の苦情とかでハラハラすることはありつつ、空間の使い方として非常に新鮮です。憧れます。

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