自信の話

試験まであと2週間ちょい。今年受けて受かるに越したことはないので、受かる、受かる、と自分に言い聞かせながらの毎日ですが、そういえば最近、「自信」について考えてました。

フルートを再開してからしばらくはほとんど何も考えずに吹いていましたが、最近、ようやく最後の方にとりかかっていた奏法上の課題のひとつを再認識しました。特に高音域でトーンがこもっているような感じで、ピッチそのものが合っても音痴に聞こえるという、けっこう致命的な問題です。これをどうにも改善できずに悩んでいて、最後に楽器自体を放棄してしまったようなところがあります。

今回再開したときに、自分では解決したつもりになっていたのだけど、録音した自分の音を聞いてみて、非常に気になりました。吹いているときには自分でわからない、というのがなかなか解決しない理由でもあります。

問題の核心、「自信」の話はここから。

そうやって自分の演奏の欠点を意識しながらいると、どうも気分的にさわやかになれません。一生懸命に取り組んでも、解決できない課題があるというのは、コンプレックスみたいなものです。

かたや、一流の演奏をする人とか、スポーツ選手とかもそうですけど、やつらは自信の塊です。彼らはプレイ中は、演奏なりスポーツなりに完全に集中しているんですが、逆をいうと、集中できるだけ前提条件(=能力)が整っています。

彼らにとっては能力というのは天からの「ギフト」。もちろん彼らにも彼らなりの課題はあるのですが、それはいわば山の高~いところにある課題なので、周りの人が気にすることなんてありません。

例えば同じ距離を歩くにしても、ある人にとっては単に歩くだけのことが、別の人(たとえば障がいがある人)にとっては非常な苦労を伴うことだったりする、そういう前提条件の違いが天から与えられているわけです。

なので、凡人はまず、周囲との比較の中で自分の非凡を見つけるのが解決の方法です。でも、そんなもの備わってないかもしれない。となれば、今度は、努力して前提条件を整えるしかない。そうやって初めて、プレイに完全に集中できるようになる。自信がつくというのはそういうことでしょう。

ところでひとつ朗報は、自信がないのは自分の欠点を見つけているからこそ、という点です。アンテナが立ってない人は「能力がないのに自信がある」というあべこべ状態になってしまうわけですから。自信がない人は、とりあえずアンテナの心配は不要です。

さて、自分の奏法に関しては解決策をいろいろ考え、今は今度こそ出口が見えているような気がします。5,6年も間隔を空けてようやく出口が見える、なんてえらく深くこびりついてしまった癖だな、と我ながら思います。でも、さまよっていた長い旅の間に、他にもいろいろなものが見えてきて、今は前よりもずっと素敵な音楽と向き合っているような気がします。

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