世界がもし日本の高校だったなら

ふとひらめいた。

 

途上国の特に底辺や下流、あと中流でもちらほらみられるやる気のなさ、というのは、いわゆる落ちこぼれに違いないのではないか。そして、それはようするに、日本の高校でいうところの勉強嫌いの態度みたいなものじゃないのか。

 

(少なくとも)日本の学校では、小中と通っているうちに、勉強ができない「落ちこぼれ」が必ず生まれる仕組みになっている。落ちこぼれは、授業の前提となっている理解ができていないので要点呑み込めないにもかかわらず、それでも授業への参加を強制される。

 

こういうことを続けていく結果、差はどんどん拡がる。そして、ただ座っているだけ(実際には、遊んだりちょっかいを出したりはしている)の間に、落ちこぼれは自分が勉強に対して無能という気持ちを、再起不能なほどに植え付けられる。ちなみに、これは日本人の生徒もだけど、日本語にハンディがある外国人の子どもにも起こりがち。

 

で、きっと途上国の学校でも同様のことが起こっているのだろうけど、それ以前に学校からドロップアウトする人も多い。しかし、ドロップアウトしたからといって、学校社会から自由になったわけでは全くない。途上国では一般的に、学歴差別は先進国よりひどい。ブルーカラーとホワイトカラーの給与差もハンパない。

 

ところでもっとマクロにみたとき、先進国は進学校で、途上国は下の方の高校みたいなもんじゃないだろうか。もちろん、途上国にも優秀な人はいるが、下の方の高校にもやはり優秀な人はいる。

 

なにがいいたいかというと、先進国の方が金持ちなのと同じように、進学校の生徒の方が一般に金持ちか、親の学歴が高いとか、家庭環境が安定しているとか、というのがひとつ。

 

そしてもうひとつは、メインストリームで成功できるかどうかが、高校という器自体に影響を受ける、ということ。下の方の高校から一流大学に進学するには、本人の学力以外に、「どうせうちの学校からは無理だよ」という言説から距離をとって、信念を持って受験勉強しないといけない。

 

人間は、勝てないゲームには長期間取り組めない。そのうちに嫌になってしまうからだ。そうすると、普通は別のゲームに移る。スポーツや芸術や、非行とかギャンブルとか。ストレスから逃れるために悪い道に進んだとしても、誰が責められようか。行為自体は、いやなことがあるときにタバコを吸うのと同じなのだから。

 

マクロに見ると、「落ちこぼれ」の発生は、メインストリームで成功する人を生み出す代償のようにもみえる。メインストリームで成功する人にはぜひそのことを頭に入れておいてほしいのと、そもそもそういうシステムっておかしいんじゃないの?という疑問も持っておきたい。

 

では代替案は、と問われると、なかなか難しい。俺は学校システムをなくしたいのだけど、もしそれが国境をなくすのと同じだということになるなら、移行には慎重になるべきだろう。ただ、やはり取り払ってしまうのがゴールだろうとは思う。

 

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