隠れたカリキュラム

なでしこジャパンに国民栄誉賞が送られた、とかいって、賞を送るのを決めるのは首相なのだから、単に政治的パフォーマンスに過ぎないじゃないの。

「世界一」というキャッチーなキーワード、このご時世で待望の明るいニュース、ということに加えて、やはり政治的に重要なのは、各選手が「恵まれない」環境の中で練習に励み、栄光をつかんだというエピソード、つまり「経過」だと思われる。

有事のときには国民総出で痛みを耐え忍ぶというのが美徳だ、という全体主義的発想は、大日本帝国時代からの伝統のよう。さかのぼればもっと昔の時代から続く、支配層に植え付けられたドグマに違いない。

さて、なでしこジャパンは明らかに政治的メッセージのためにトレンド化されている。せっかく結果を出しても、結果のみによって評価されないのが日本社会。それも昔の時代から続く伝統だ。そして、それを再確認しているのが今回の賞の授与、という風に俺には見える。日本社会は依然としてこうですよ、というメッセージ。

 

もちろんここでいう「伝統」は皮肉であって、見方によっては悪習に他ならない。西洋とは価値観が違うのだ、ということはもちろん可能なのだが、せめて自覚的であってほしいと思う。ローカルなマインドでもって英語だけ小学生のうちから勉強させたって、国際化ってことにはならないでしょうに。と、政府の偉い人に言いたい。

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