アメリカの教育と正義

短かった俺の企業人生もそろそろ終わり、これからは、いよいよ非営利の世界で生きていくことになります。ビジネスのお勉強が終わったわけではもちろんないですが、興味関心の重心は再び教育的な方向に向き直すことになります。

ただ、ビジネスの中にもやはり教育に関する側面というのはたくさんあって、特に人材育成やコミュニケーション、動機付けなどのテーマが見えてきて、さらにもっと大きな話でいうと、企業と企業人の倫理的な側面や、社内コミュニティの作り方的なトピックもあります。俺には特にフィリピン勤務という、ある意味貴重な経験から得られた観点があり、お金に換えられない財産だと思ってます。

さて、教育と再び向き合おうとすると、どうしてもアカデミックな世界とも近づいてきます。俺がすこぶる気に入らないのは、科学の世界とは別に、学会や、外国人教育の実践コミュニティに横たわっている「空気」なのですが、担っているのが人間な以上、避けられない問題ではあります。マイノリティ的生き方を実践している俺としては、そういうコミュニティ内の言説に同化・同調していくのに抵抗があり、常に危機感を持ってしまいます。パラダイムに呑まれてしまう恐怖、ですね。

たとえばどうしてイリイチが黙殺されているのかもわからず、オルタナティブな学び方や、教授学ではない教育学への関心が低いのが理解できません。論文を書きにくい、という理由とかは察しますが。

とはいえ、オルタナティブ・スクールなどは海外では既に一定程度認められているわけなので、海外の研究成果を読み取る際にはそういった社会事情も考慮して然るべきだと思います。

さっき調べていたところでは、道徳教育研究で取り上げられるコールバーグは、オルタナティブ・スクールで実験的実践をした、といいます。ちなみに、その前は女子刑務所ですよ。どちらも、普通の日本人がイメージできるような空間ではありません。日本の研究者はどんな雰囲気だかわかってんのかな、と心配になります。

一方、オルタナティブ・スクール側の人間も、アカデミックな世界のことをちゃんと勉強しているんだろうか、と思う瞬間が多々あります。だいたいの場合、専門家でない人が課題に直面して一念発起スタートさせているのが日本の現状ですから。たとえば、ダニエル・グリーンバーグの本なんかにも、上記コールバーグのジャスト・コミュニティの影響を強く受けている様子が紹介されていますが、訳者はそこまで理解しているとは思われませんでした。

こんな状況、なんかがおかしい、と感じます。自称クリエイティブ系のはしくれとして、直感を大事にして生きていきたいです。

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