医療通訳

今日も写真は載せません。。もうちょっと余裕が出てきたら、ね。ネタはいくつかありますので。

さてさて、今日は最近思うこと、というか日常の中からの発見をご報告。

俺って語学大好きなんだけど、そもそも社交的でないので、外国語で話すのは別に得意なわけではありません。さらに興味が散ってしまうので、外国語学習にしてもひとつの言葉をずっと勉強することもできず、結果的にどれもマスターしてません(少なくとも今は。。)。

とはいえ、マニラの日系企業で働くからにはブリッジ人材(=外国語のできない日本人とローカルのスタッフとを結ぶ人材)として期待されているわけで、翻訳とか通訳なんかを仕事でやることがそこそこあります。さすがにタガログ語の翻訳・通訳はまだないですが、英語ではやります。けっこう危ういんですがね、それでも英語ができない人からすればよくできているように見えるようです(ちなみに、難しいところはわかったふりだけして、訳さなかったりしてます(汗))。

そして最近は、なんとある種の医療通訳までやるようになってしまいました。眼の手術だけなんですが、手術室までついて行って横から指示を通訳したり。。患者の眼がむき出しになっているのとか見る機会は正直、なかなかないです。

日本にいるときは自分には通訳・翻訳なんてすることはないと思っていましたが(日本では英語ができる人はいっぱいいますからね)、こっちに来てからは日本人ということ自体が貴重なので、俺のようにたいして実力がない者にも機会があります。換言すれば需要過多です。「たたきあげ」 っていうのはこうやって育っていくんだな、と実感。

考えてみれば実は、これって日本在住の外国人にも言えることなんですよね。もともとのプロフェッショナルでない者も、需要があるからということで駆り出されて、気がつけば「たたきあげ」のプロフェッショナルになっていることだってある。

そういう人材を育てて行く環境というものをもうちょっとよく考えてみませんか?これは新しい教育学ですよ。新しい教育学は、動的な学びの環境を対象としなければならないと俺は考えます。そういった意味で、「徒弟制」での学びのプロセスの研究や、仕事の中での学びの研究は既に着手されているけれども、「機会」をどう発見して、そこで人をどう伸ばすか、というジェネラルな点ももっと研究されていいのでは、と俺は思います(修士論文でもその視点が裏側にありました)。今回でいえば、移住(あるいは国際移動)によって発生する機会、というのがたしかにあるわけです。

最後にまた海外在住日本人に話を戻しますと、見方によっては、日本人は日本にいるより外国にいる方がチャンスが多い、ともいえるのではないでしょうか?「稀少性」がカギだと思います。マイノリティになることを恐れない度胸があれば、ユニークな道が拓ける、と俺は信じています。

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